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The 政権交代3 - 日米同盟の光と影

投稿日  2009年10月13日

 実はブログを立ち上げようと思った時考えていたのは、歴史を振り返りながら少し距離を置いて現実に起こっている事を考える、というスタンスでした。私が夢想しているような日本の在り方はまだかなり先の話と思っていた訳ですが、ホームページ公開直前に鳩山代表の論文を読んで、この戦後初の本格的な政権交代によって生まれた政権に期待する気持ちになりました。
 このホームページで何回も書いてきたように、今は世界の大変動期であり、日本にとっても明治維新以来の国の歪みを改め、方向転換をしながら、豊かな未来に向かって再スタートを切るチャンスが到来しているのだと思います。そして今民主党が始めたばかりの様々な変革ー脱官僚依存や地方への財源の移譲を伴った地方分権、アメリカからの自立、東アジア共同体構想等々は、いつか日本が行わなければならない方向転換であり、その時代認識を出来るだけ多くの国民が共有しなければ、本当の意味での改革は何時までたってもこの国には不可能です。
 例えば、民主党の政策には経済の成長戦略がない、という意見をよく目にしますが、成長戦略とは、ただ予算をばらまいて小手先の景気浮揚を図ることなのでしょうか。
 例えば東アジア共同体、そしてその先にあるアセアン諸国も含めたアジア共同体構想は、長い目で見れば大きな日本の成長戦略ではないでしょうか。21世紀はアジアの世紀といわれますが、現在既にいわゆるボリュームゾーンといわれる中産階級が8,8億人いるといわれるアジアは日本にとっては今後益々巨大な市場となるでしょうし、アジアの国々に日本の優れた技術を移転しながら成長を助け、また成長に伴う環境問題に率先して取り組めば、それは日本の豊かな未来へと繋がり、なによりも日本の安全保障になると思います。
 そこで今回も、The 政権交代。岡田外相の深夜の会見を聞いて書こうと思った日米関係の負の部分を考えながら、自立への道を模索してみたいと思います。

 日本は1951年のサンフランシスコ講和条約によって国際法上は独立国となったわけですが、その後も私共が一般的に考えている以上にアメリカによる間接統治は続き、そして例の「密約」に象徴されるように、日米関係には常にある不透明さが漂よい、アメリカの圧力の下国益に反する決定が下されても国民には秘されてきました。

 日米関係の光の部分に関しては、今更書くまでも無いと思います。
 世の右傾化の流れの中で、「日本はルーズベルトに引っかけられて太平洋戦争に引きずり込まれた」とか、「占領軍が行った「ウォーギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪の意識を日本人に植え付ける宣伝計画 )は、ひょっとしたら原爆よりもヒドイかもしれない。その結果、日本人は独立自尊の精神や愛国心を失った」などと主張する人々がいますが、私は世界史上これほど寛大な占領軍はなかったと思っています。
 占領軍として日本に来た人々の中には、民政局を中心に、民主主義の理想に燃え、公正・公明な精神を持ったヒューマニスト達が大勢いました。彼等の目から見れば戦前の日本は集団発狂したような状態であり、軍部独裁から人々を解放する、というのは彼等の使命感だったと思います。

「例えば、苔むして、鬱蒼と木の生い茂る庭園と家屋。家は一応西欧風を真似て近代的な体裁を整えてはいるが、そこには軍閥や財閥や家長制度に基づく封建制といった魑魅魍魎が跋扈している。神道や武士道や大和魂といったきな臭い亡霊も住み着いている。それらを注意深く取り払い、あるいは封印し、整地をして、そこに民主主義という名の、風通しがよく、清潔で住み心地のよい家を建てて、日本人に与える。日本人は大いなる開放感と共におおむねその家の快適さに満足したのである」

 私は「日本の蘇生」でこのように書きましたが、もちろんそこに、真に日本的なるものが破壊されてしまったという嘆きを込めたつもりですが、占領軍は日本人に英語やキリスト教を強制することも、強制労働に駆り立てることもなく、賠償金も要求しませんでした。それは欧米諸国が非西欧の国を統治するかたちとして、世界史的に見て画期的なものだったと思います。
 その占領政策はおおむね、1941年8月、アメリカの参戦を求めるイギリスのチャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領によって調印された大西洋憲章の精神に則って行われたと言ってよいと思いますが、その全文を読んでみるとそこに両国、とりわけイギリスから覇権を引き継ごうとしているアメリカの大統領ルーズベルトが、戦争終了後の世界の平和と安定のために描いた新たな世界の在り方への理念と構想が語られています。
 その第4項に 、
「両者は、大国たると小国たるとを問わず、また、先勝国たると戦敗国たるとを問わず、すべての国に対して、その経済的繁栄に必要な世界の通商および原料の均等な開放がなされるよう努力する」
とありますが、日清戦争以来、資源の確保や経済ブロックの構築の為に獲得した植民地をすべて失った日本が、「通商と原料の均等な開放」を享受することによってあっという間に経済大国に発展し得たということは、この条約が目指した世界の在り方がある程度実現された、ということであり、それはある意味で帝国主義の終焉をも象徴するものであったと思います。

 尤もGHQには元々、民主主義推進派の民政局と諜報・保安・検問などを担当する参謀第二部との間に、占領政策をめぐって対立があったと言われます。そして東西の対立が激化する過程で次第に民政局はその影響力を弱め、1950年、朝鮮戦争を境に、アメリカは様々な意味で変質してゆくことになり、東西冷戦下の世界は残念ながらフランクリン・ルーズベルトの描いた理想像のように、諸国民が自由と民主主義を享受し、戦争のない世界で豊かに平和裡に生きる、というわけにはいきませんでした。そしてその原因の大きな部分はアメリカにありました。軍産複合体やCIAなどの組織が肥大化したアメリカは数々の戦争を引き起こし、軍事クーデターを画策してしばしば民主的に選ばれた政権を倒し、独裁者を生み出しました。

 私がことアメリカに関しては日本の言論の自由は非常に制約されている、と感じるようになったのは、実は2003年以降、インターネットの情報に接するようになってからでした。
 例えば、アメリカの推し進める市場原理主義に基づくグローバリゼーションによって世界で、アメリカで何が起こっていたのか。どうしてアメリカの裏庭といわれる中南米で、ベネズエラのチャベス政権、ブラジルのルーラ政権、アルゼンチンのキルチネル政権等の反米左派政権が次々と誕生したのか 。何故サミットやWTO等の国際会議が開かれる度に怒った人々が会場を取り囲むのか。アジア通貨危機とはなんだったのか。
 毎日テレビのニュースを見ていたのでは分からない事が少しづつ理解出来るようになってゆきました。小泉改革の掲げる、小さな政府、官から民へ、規制緩和、といった政策はIMFや世銀、WTOといった機関を通してアメリカが世界の、特に発展途上国に押しつけてきたワシントンコンセンサスそのものであり、すでにアメリカを含む世界の至る所で格差を拡大し、医療や福祉などの社会保障制度を破壊し、社会を不安定にしてきました。つまり小泉改革を推し進めれば日本社会がどのような社会になってゆくか、事前に予測できたことでしたが、このような事実にマスコミは沈黙し、「小泉改革」を後押ししました。

 そして2004年に出版された関岡英之の「拒否できない日本」を読んで、近年の商法、司法、金融、流通。医療制度などの分野の法改正や制度変更が、1994年からアメリカによって毎年提出される「年次改革要望書」に示されてきたアメリカの要求に添って行われているということや、郵便事業の民営化はアメリカがこの要望書の中で10年も前から要求し続けていて、特に簡保の完全民営化はアメリカ保険業界からの強い圧力がある、ということを知りました。それは安定した日本の社会を確実に破壊してきており、自国の政府が国益を無視してアメリカの「要望」を受け入れてきた、ということに強い衝撃をうけました。
 小泉内閣の5年間、こういった情報は大新聞やテレビなどのマスメディアでは殆ど封印されていたと思います。マスコミも学界も経済界もアメリカの意に反するようなことを発信するのになぜこれほど慎重かつ臆病なのか。
 電通のメディア支配、視聴率や発行部数を稼ぐためのマスコミの大衆迎合、など様々な要素があると考えられましたが、私はそこにアメリカの隠然たる支配を強く感じるようになりました。

 アメリカには国立公文書館に収められた国家の機密文書を三十年後に機密解除する、という法律がありますが、二〇〇六年、アメリカ国務省が刊行した外交資料集の中に、アメリカ中央情報局CIAが、一九五八年から十年間にわたり自民党や社会党右派に多額の資金援助をしていたという記述がありました。その文書によればCIAの秘密工作は、

  自民党主要政治家への財政支援と選挙アドバイス
  親米で「責任ある」野党育成に向けた野党穏健派の分断工作
  極左勢力の影響力排除のための広報宣伝活動
  同様の目的による社会各層の有力者に対する「社会活動」

 とありました。つまりCIAの資金は政治家たちばかりではなく、「社会各層の有力者」たちにもばらまかれ、CIAの工作の対象になっていた訳で、CIAから資金提供を受けたエージェントが、政界はもちろんのこと、官界・経済界・学者たち・マスコミなどに網の目のごとく配置されている、というよくいわれる話には信憑性があるのだと感じました。それが自民党という従米一辺倒の党がこれほど長く政権の座に留まることができた主要な要素だったと思います。

 1980年代までの激しい日米貿易摩擦問題がプラザ合意を境に一見沈静化して、貿易黒字を生む日本社会の構造そのものを変えるように迫る日米構造協議が始まり、その頃を境に日本の財政赤字も増え続け、いまや世界最悪といわれる水準に達しているわけですが、その発端が1990年6月に日米構造協議の最終報告書の中でアメリカが日本に要求した内需拡大要求であった、ということ、具体的には10年間で430兆の公共投資を行うように要求してきた、ということは、石原慎太郎氏を初め多くの人が指摘していることです。
「世界」5月号、東大名誉教授宇沢弘文氏と経済評論家内橋克人氏の「新しい経済学は可能か」という対談の中で宇沢氏が、
「日米構造協議が開かれましたが、実はアメリカの商工業者の団体が原案を作成し、アメリカ政府がそれに基づいて日本政府に要求と交渉をするというとんでもないもので、一番の焦点は(アメリカの)経常赤字と財政赤字が膨らみ、非常に混乱した時代のなかで、日本政府に対して10年間で430兆円の公共投資をしろという要求でした。しかもその公共投資は日本の経済の生産性を上げるために使ってはいけない。まったく無駄なことに使えという。信じられない要求でした」
と指摘しています。 日本政府はそれを地方自治体に全部押し付け、地方自治体はレジャーランド建設のような形で、生産性を上げない全く無駄なことに計430兆円を使う。そのために地方債を発行し、その利息の返済は地方交付税でカバーしていたのが、小泉政権になって地方交付税を大幅に削減してしまったために、地方自治体が第三セクターでつくったものは多く不良債権になり、それが自治体の負債となっていまだに残っている。そして財政難を理由に地方の、たとえば公立病院などの行政サービスがどんどん切り捨てられている、と語り、
「日本は完全に植民地というか……属国ならまだいいのです。属国なら一部ですから。植民地は完全に搾取するだけのものです」
と嘆いておられます。

 宇沢弘文氏は、あのノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学教授ジョセフ・スティグリッツもその高弟といわれ、ご自身もその若い頃の研究で日本でノーベル経済学賞に最も近いといわれてきた老碩学ですが、この対談の中で、
シカゴ大学の教授をしていた1973年、チリで民主的に選ばれたアジェンデ政権がピノチェトの軍事クーデターによって倒された、というニュースを、シカゴ大学のフリードマン派の人々が拍手喝采で喜んだ、という話を語っているのが印象的でした。今ではアメリカでもCIAの工作であったと認められているこのクーデターは民主主義を高く掲げながら実は世界各地で民主主義を阻害してきた戦後のアメリカの在り方を象徴する出来事であったと思います。

 日本の権力者たちには常にアメリカに対する恐怖心があったように思います。アメリカに逆らったら日本は生きて行けない。何をされるか分からない。
 鳩山政権の従米脱却路線に対しても様々な懸念の声があり、また普天間基地移転問題を初めとして、政権側にもブレが見られます。けれでもやっと巡ってきたチャンス、私共国民は、いつまでもアメリカの植民地であることに甘んじるわけにはいかないと思います。
 オバマ大統領に与えられたノーベル平和賞には世界の人々の平和への願いが託されています。世界が平和になるためにはまずアメリカが変わらねばならず、そのアメリカに143ヶ所もの基地を提供してアメリカの戦争に加担してきた日本の在り方そのものも変革を迫られています。その国民の思いこそがアメリカからの自立という困難な仕事を可能にするのだと信じます。


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