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「東アジア共同体」を考える

投稿日  2009年12月02日

 何度かこのホームページで書いてきたように、政権交代の直前まで、それほど民主党に期待していたわけではありませんでした。民主党のマニフェストに真っ先に掲げられている政策には「ばらまき」が目立ち、日本にとって政権交代は必要だが、それによって日本が私が望ましいと思っているような方向転換を行うことはないだろう、と半ば諦めていました。
 「日本の蘇生」の中で日本の変革の先頭に立つことになっている大久保利夫が
「二〇一〇年の結党のときには、他の政党に属していたり無所属で活動していた議員たちが随分馳せ参じたようですね」
という質問に答えて、
「既に二大政党体制はできていましたが、まだまだ日本はアメリカから独立すべきだと公言することは、政界ではタブーだったし、どちらが政権を取っても、対米重視は揺るぎない基本政策でした。」
と語る箇所があるのですが、これが私が本を書いていたころの感じ方でした。
 だから「鳩山論文」に掲げられた、アメリカ発の市場原理主義の否定」「アメリカとドルの覇権の翳り」「アメリカからの自立」「アジア共通通貨を視野に入れた東アジア共同体構想」などはようやく日本にも起こるかもしれない変化の兆しであり、「戦後体制の終焉」が近づきつつあるのかもしれない、という期待を抱かせるものでした。
 おそらくこれらの政治課題は、大きな世界史の流れのなかで徐々に実現に向かって動いて行くことであり、今日本は二国間の軍事同盟から多国間の安全保障体制へと移行して行く過渡期にあるのだと思いますが、それにしてもゲーツ国防長官やキャンベル国務次官補といったアメリカの政府高官たちの、普天間移設問題等に関する露骨な脅しや、「日本が厄介なことを言い出した」というアメリカのメディアの論調とそれに過剰に反応し、「アメリカを怒らせたらとんでもないことになる」と大騒ぎする日本のマスコミや世論には驚かされます。浮き足だった鳩山総理や岡田外相及び内閣の人々がそれぞれに矛盾した発言を繰り返し、普天間移設問題は収拾のつかない混乱状態にあります。

 政権交代しても軍事・外交は変更しないのが国際政治のルールだと、アメリカも日本のマスコミや対米従属至上主義の人々も声高に主張していますが、実際には政権が交代して、その国の外交政策が大きく方向転換するのはよくあることです。
 2004年、スペインでは民衆党のアスナール政権から社会労働党のサパテロ政権に交代して、公約通りに直ちにイラクからの撤兵が行われました。2007年オーストラリアではやはりイラクからの撤兵を公約に掲げて選挙戦を戦った労働党のラッド書記長がハワード率いる自由党から政権を奪い、イラクからの段階的な撤兵を始めました。背景には人々のイラク戦争への強い怒りがありました。無論大きな外交上の政策転換は国民の支持なくしては不可能です。
 オバマ政権はオバマ大統領就任直後にポーランドとチェコへ弾道ミサイル迎撃システムを配備するミサイル防衛計画の中止を決定しました。それはオバマ大統領の「対立から対話へ」の外交政策のチェンジを印象づけるものでした。
 
 先日旧知の、私共のパリ時代には喧々愕々議論していた元自民党参議院議員の某氏と会う機会があったのですが、
「鳩山は分かってない。外交というのは軍事力なんだ。アメリカを怒らせてアメリカが日本から出て行ったらどうするつもりなんだ。そうなったらもの凄い軍事費がかかる」
とお怒りでした。余りに確信に満ちているので反論しても無駄、と思い、
「でも日本の防衛予算はすでにかなりの額じゃないですか。たとえばドイツなんかと比べてどうなんでしょう」とだけ言ったら
「そりゃドイツは日本より少ない。でも集団安全保障なんてあてにならない」というお答えでした。
 これはいわゆる保守系の政治家先生たちが広く共有している確固たる認識であり、多分鳩山総理も岡田外相もこのような論理で攻め立てられているのだろう、と感じました。「日本はアメリカの軍事力に守られることによって戦争に巻き込まれず、驚異的な経済成長を遂げることができた。そのコストを日本が負担するのは当たり前。アメリカからの自立などというのは非現実的な「ねんね」の理想論にすぎない」。
 そのコストが一般的に考えられているより遙かに大きいことは、例の「密約」問題でも見られるように、明らかなのですが。
 
 明治維新の時に極端な欧化政策を取ったのも、戦後アメリカから与えられた民主主義の意匠を嬉々として受け入れ、占領が終わった後もアメリカに多くの基地を提供し、アメリカの核の傘に守られながら経済的な繁栄を謳歌する一方で、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、戦争漬けとなったアメリカの全ての戦争に基地や物資やお金を提供して加担してきたことも、自主外交を放棄し、冷戦後アメリカが仕掛け結果として「第二の敗戦」といわれる事態に至ったアメリカの「日本改造計画」に対して政治家も官僚も本気で抵抗した形跡が見られなかったこともすべて、仕方がなかった、ということになるのかもしれません。
 もしアメリカの覇権が磐石であり、その軍事力と情報力とドルという世界の基軸通貨によってアメリカが一国行動主義を継続出来るのであれば、たとえアメリカの植民地に甘んじようとも日米同盟を絶対視するのは日本にとって一つの選択肢であろうとは思います。しかし「多極化とはなんなのか」で書いたように現在世界は激動期にあり、その中で顕著になってきたのはアメリカの覇権の衰退であり、地域統合の動きです。そしてドルと金の交換を停止したいわゆるニクソンショック以降もいくら刷りまくってもドルを世界で黄金の如く通用させてアメリカの覇権を支えていた「原油のドル建て表示・決済」が揺らぎ初めています。
 日経ネットの国際ニュース によれば、「10月6日のイギリス インディペンデント紙は、シドニー発のロイター電として 、『アラブ湾岸諸国が原油取引での米ドル利用を中止し、通貨バスケット建て取引移行に向け、ロシア・中国・日本・フランスなどと極秘に協議していると報じた』と報道。サウジやクウェートが慌てて否定するという一幕があったが、10月21日にはカタール副首相が、『原油ドル建ての見直しは継続中』と発言したとカタール国営通信が伝えた」とのことでした。
 最初に原油のドル建てをユーロ建てに切り替えたのはあのイラクのフセイン大統領でした。アメリカが初めから無いと分かっていた大量破壊兵器を口実に先制攻撃論を唱えて国民を欺きイラク戦争を始めた理由は色々あると思いますが、これがその一つだったことは想像に難くありません。
 2008年以降はロシア、イラン、ベネズエラが原油の決済をドル以外でも行っています。
 日本も原油を円建てで買える日が近づきつつあるのかもしれません。そして基軸通貨がドルだけでなく、ユーロ、ハリージ(湾岸共通通貨)、エキュ(アジア共通通貨)と多様化すれば、外貨準備をすべてドルで保有して円高ドル安に怯えることもなくなります。
 ドルが世界の基軸通貨でなくなった時、アメリカは果たして世界中に軍事基地を抱えて、「自由と民主主義」の大義名分の下戦争を行うことができるのでしょうか。

 言うまでもなく、日米同盟とは「日米軍事同盟」であり、莫大な予算と日本国内143箇所もの米軍基地は侵攻してくる「敵」を想定しているはずですが、そういう意味では冷戦下のソ連は申し分のない仮想敵国でした。ソ連と共産主義の脅威から日本を守る、という大義名分はそれなりの説得力がありました。しかし冷戦は終わり、仮想敵国は中国と北朝鮮、そして「テロリストたち」になりました。
 その現在の日米同盟の最大の仮想敵国中国はいまや、G2として、アメリカと共に世界経済を牽引する存在と見なされています。中国は「我が国はまだ発展途上国である」として覇権国となることに躊躇しているようですが、今回のオバマ大統領のアジア歴訪でも最大の目的は中国との良好な二国間関係の構築であり、中国に責任ある大国としての自覚を促すことであったようです。

 今から30年前、鄧小平の政治決断によって中国は市場経済の導入に踏み切りましたが、その基本原則は「先富論」といわれるもので「可能な者から先に裕福になれ。そして落伍した者を助けよ」(ウィキペディア)ということのようです。しかし現実には沿岸部と内陸部や個人間の格差が拡大したとよく指摘されますが、今後中国は人々の不満を抑えるためにも経済発展の恩恵が内陸部まで及んで行くような政策をとってゆく意向のようで、そのためには政治的な安定は不可欠です。
 中国の外交をウォッチしていると、非常に多角的・全方位的です。
 
 一方の仮想敵国の北朝鮮ですが、私は個人的には韓国と北朝鮮の統一を心から願っており、私の本の中では二国は「朝鮮連邦」となっています。17度線を境に同じ歴史と文化を共有する国が二つに分断されていることは冷戦構造の残滓であり、かつて三十数年に渡って植民地支配した日本にも統一に向けて協力する義務があるように思います。
 北の核の脅威は確かに非常に厄介です。しかし日本の核武装があり得ないことである以上、この問題は中国・韓国との信頼関係を築きながら6ヶ国協議の枠組みで、あるいはアセアン諸国とも協力して、外交的・政治的に解決して行くしか方法はないように思います。

 「東アジア共同体」の先駆けをなすのは1990年マレーシアのマハティール首相が提唱した「東アジア経済圏構想(EAEG)」でした。現在のアセアン+3(タイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ラオス、カンボジアの、ミャンマーを除くアセアン9ヶ国と中国・韓国・日本)の枠組みで、アジアに於ける通貨統合も含めた共通の経済圏の構築を目指したものでしたが、当時、日本の経済力はアジアでは突出しており、マハティールの構想は日本を中心に据えたものだったといわれます。しかし日本は「そんなものは絶対に認められない」というアメリカの強い怒りの前に参加を断念。この構想そのものもアメリカの反対で進展しませんでした。
 その後1997年の「アジア通貨危機」の年、マレーシアで最初の「アセアン+3日中韓)の会合が開かれ、その後は毎年、この枠組みの首脳会合が開かれるようになって、経済・文化・環境・エネルギーなど様々な分野での交流が活発に行われるようになっているようです。そしてアメリカも、世界的な多極化、地域統合の流れの中で、それを容認せざるを得ない状況のようです。
 そして2005年にはアセアン+6(アセアン・日中韓にオーストラリア、ニュージーランド、インド)が初めて開催され、東アジアサミット として定期的に開催されることになり、将来の東アジア共同体の枠組みが整いつつあります。
 但し、これらの国々が将来的に集団安全保障を目指すかどうか、という話になると、今や「日本にとって日米同盟が最重要」と繰り返す鳩山総理も岡田外相も極端に慎重になっています。多分彼等も今はアメリカを過度に刺激しないほうがよい、と考えているのでしょう。
 日本では中国への警戒心を持つ人が多く、たとえそれが屈辱的なものであろうが、アメリカに守ってもらうのが一番安全。アメリカの核の傘は日本に必要と思っている人が多いようです。オバマ大統領の核の廃絶に向けたプラハ演説が日本のメディアで大変冷淡に扱われたのも、そのような多くの人々の思惑を反映しているのだろうと思います。
 けれども共同体の思想の根底にあるのは、その共同体に属する国同士が二度と戦争をしない状態を目指すということだと思います。そしてヨーロッパで人々が互いに敵対心を捨て、相互の不信感を乗り越えて「一つのヨーロッパ」を受け入れたのは、二度とあのような悲惨な戦争を繰り返してはならない、という人々の強い思いだったと思います。
 
 アジアはヨーロッパと違い、宗教も民族も様々で統合は非現実的、という人も多いようです。けれども、何度も書いてきたように、日本の際だった特色は多様な文化をしなやかに受け入れる柔軟性と、それを磨き抜いてゆく美的な感性だと思います。異文化間の「架け橋になる」将に日本にピッタリの役割ではありませんか。
 といっても個人的には私は「緩やかな統合」がよいと思っていて、アジア合衆国を作る必要はないのではないか、と思っており、叉共通通貨は是非とも必要ですが、EUの現状を見ていると、それを貿易決済通貨及び外貨準備の為の通貨に留めておく方がよいのではないかと思っております。

 「中国脅威論」については、中国を支那と呼び、戦前の日本の戦争を批判することを「反日」と称し、中国に対する警戒心を解けば中国はいずれ日本を併合する、とナショナリズムを煽る人々を説得する自信は私にはありませんが、これから私なりに冷静に考え、調べてゆきたいと思っています。
 私はほとんど全ての日本文化の源となっている中国文明に深い尊敬の念と愛着を持っていますが、中国共産党や人民解放軍や今の中国社会についての詳しい知識はありません。
 ただ、将来仮にアセアン+3あるいは6という枠組みの集団安全保障体制が構築された場合、さらにはそこに、太平洋を挟んでアメリカやラテンアメリカの国々も加わってきた場合(APECアジア太平洋経済協力機構という大きな枠組みもありますし)、経済発展のために政治の安定をなによりも重視し、貿易で経済成長を維持し、北米、中南米、中近東、ロシア、アジア、アフリカなど全方位的な国際協調路線を取り、WTOに加盟することを強く望んだ中国が突如、他の加盟国全てを敵に回し、世界の世論に逆らって、共に集団安全保障体制を構築している日本に侵攻する、ということは余りに非現実的なように思います。資源もない日本を占領したところで一体中国にどういうメリットがあるのでしょうか。
 今の中国は、アメリカやEU加盟国はもとより、例えばイラン、ベネズエラ、北朝鮮といった欧米社会から白眼視されている国々とも積極的な交流を持ち、またアフリカでは「欧米型の援助ではなく、投資を」というアフリカ諸国の要望に呼応して、積極的な投資を行って、アフリカにもようやく発展の気運が盛り上がってきているようです。それらは無論国益重視のしたたかな外交戦略であるわけですが、中国の長い歴史に根ざした「内政不干渉」の伝統をも感じられます。

 東アジア共同体というのはアメリカ支配から離れて中国の支配下に入ることであると考える人も多いようですが、二国間の軍事同盟と多国間の安全保障体制は違うのではないでしょうか。EUのほとんどの国々は同時にNATO(北大西洋条約機構)にも加盟していますが、自国をアメリカの属国である、と感じている人はほとんどいないと思います。
 
 「日本人が尊厳を取り戻すためにはアメリカから自立し、憲法九条を改正して自前の軍隊を持つべきだ。核武装の可能性も排除すべきではない」という論調が明らかに勢いを増していますが、死者2000万人以上といわれるあの第二次大戦という、日本もその責任の大きな一端を担う未曾有の大戦争が、広島と長崎に落とされた二発の原爆によって終わった時、大多数の人が、こんな事を二度と繰り返してはならない、と肝に銘じたのではなかったのでしょうか。そして今兵器は、劣化ウラン弾、白リン弾、クラスター爆弾等々さらに進化し、大量破壊兵器はその威力を増しています。

 日本にとって、戦後はまだ終わっていません。敗戦国日本が日米軍事同盟に縛りつけられている限り、対等な日米関係などあるはずがありません。真の日本を取り戻す為にも(そんなものはもう絶滅寸前なのかもしれませんが)明治維新の時に捨て去った、アジアの国という自らのアイデンティティーを取り戻すためにも、日本人は東アジア共同体構想とその先に見えてくるアジアの連帯の上に成り立つ集団安全保障に真剣に向き合うときではないでしょうか。
 そしてその時、憲法九条をどのように考えるのか、このホームページでもじっくり考えてみたいと思っております。


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