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帝国主義の残滓ーインドと中東の場合

投稿日  2009年12月24日

 日本では「理想主義」はとかく「現実主義」と対比され、「現実をよく知らない者の夢物語」と見られ勝ちですが、現状を肯定しているだけでは物事は決して前へは進みません。たとえそれが非現実的な理想論に見えようとも目標を掲げ、そこに一歩一歩向かって行くリーダー達やそれを信じ支える多くの人々の不断の努力によって「理想」がある日現実となる、という例を私共は何度も歴史の中に見てきています。
 帝国主義や東西冷戦の終焉も、「戦争のないヨーロッパ」の構築も、遂には実現しました。そして私は、「どこにも従属しない、自立して尊厳ある日本」や「核のない世界」や「戦争のない世界」も、どんなに脳天気な奴と思われようとも、不可能なこととは思っていません。
 私は長い間、唯一の被爆国である日本こそが核の廃絶を世界に呼びかける歴史的な使命を負っている、と考え、「日本の蘇生」の中でも主張しました。けれども日本の「現実的な」多くの人々は、日米安保条約こそが日本の安全が保障される唯一の体制であり、日本にとってアメリカの核は必要である、と考えています。今回の普天間基地移設を巡る大騒動は、戦後ずっと続いた自民党政権の下、日本人がこの問題を一度も突きつめて考えようとしなかったツケであり、この世界史の大転換期になお非常に内向きになっている日本社会に苛立ちを覚えます。

「核の廃絶」という多くの日本人が到底実現困難、と考えた理想は、核を使用した唯一の国アメリカのオバマ大統領によって高く掲げられました。アメリカがどこまで本気に核のない世界を目指しているのかは疑問です。けれども、アメリカのウッドロー・ウイルソン大統領によって掲げられた「民族自決」の原則がやがて帝国主義を崩壊に向かわせたように、「核のない世界」という人類共通の理想も、世界の多くの国や人々がその目標を共有することによっていつか現実のものとなる時が来るかもしれず、もしそうなれば、2009年はそのスタートラインとして歴史に刻まれることでしょう。

 それにしても、19世紀半ば頃から加速する帝国主義の時代というのは実に過酷な時代でした。欧米による世界各地の植民地化は、15世紀末に既に始まっていた訳ですが、この時期欧米の強国は産業革命を経て余剰資金と物資が溢れだし、市場と資源を求め、軍事力で他の諸地域を圧倒し、瞬く間に地球上の殆どの国を植民地化してしまいました。それは日本という例外を除いては白人による有色人種支配でした。
 最近友人のお父様である 淡徳三郎氏<1901‐1977 昭和時代の社会評論家。学生運動のリーダーとなり、京都学連事件(1925年。日本内地では最初の治安維持法適用事件として知られる)で検挙される。1935年思想犯保護団体大孝塾の特派員として渡仏。戦後ソ連に抑留され、1948年帰国。平和擁護日本委員会理事などをつとめた。>(講談社人名辞典デジタル版)が1940年、1941年に雑誌「改造」にパリから書き送った非常に興味深い文章に接する機会があったのですが、その中にフランス人の作家ポール・モランが描く、カリブ海にあるフランスの植民地カライブ島の人々の生活についての次のような文章が引用されていました。

 「(フランス本土から来ている人々の恵まれた生活から)目を転じて他を見るとそこでは人は殆ど裸体であるか、襤褸を纏っているに過ぎず、一碗の米叉は数匹の焼き蝗で命をつなぎ、仕事が見つかるだけで僥倖の如く考え、15時間はおろか18時間も労働し、一度腹一杯食べてみたいと考える以外に楽しみはなく、道路であろうと、納屋の隅であろうと眠られる所に臥し、骸骨の如く痩せこけ、何人にも顧みられず、働いて働いた挙げ句死んでゆくのである。
 そこには彼等を保護するいかなる法律もなく、高利貸しは思う存分の利益を占め、軍隊は徴発をほしいままにしている。これが黒人労働者の生活であり、有色人プロレタリアの姿である。」(ポール・モラン カライブ島の冬)

 無論植民地に於ける労働者の生活がすべてこのようなものであったとは思えませんが、人間性というものを全く否定された現地人の、あるいはアフリカ大陸から奴隷として買われてきた黒人の人々の生活の実態が垣間見える、第二次大戦前の植民地の一情景として貴重な記録であろうと思います。

 先々回の「多極化とはなんなのか」で、嘗て欧米の植民地であった国々が今その支配から完全に独立し、白人コンプレックスから解放され、自らのアイデンティティーに目覚め、大国からの経済的・軍事的自立を求めて、次第に通貨統合や安全保障を含む地域統合へと向かっている例を幾つか挙げました。世界の多極化とは欧米による世界支配の終焉であり、ある意味では大航海時代以来500年ぶりといってよい大変化なのです。

 けれども、欧米の世界支配は今の時点で完全に終わったわけではなく、その過渡期にあるわけで、世界にはまだまだ帝国主義の時代の後遺症ともいえる状況が残っています。ここではインドと中近東の例を考えてみたいと思います。

 20世紀の政治リーダーで誰を一番尊敬しているかと聞かれれば私はマハトマ・ガンジーと答えます。当時の覇権国家イギリスに武力ではなく「非暴力・不服従」によって粘り強く戦いをを挑み、インドを独立に導いたガンジーの理念はキング牧師や南アのネルソン・マンデラたちに引き継がれ、私はそこに戦争に明け暮れた殺伐とした20世紀の歴史に於ける一抹の光明を感じるのです。
 ガンジーの魅力は、彼が単に独立運動の闘志であっただけでなく、明確にして普遍的な哲学と政治理念を持っていた点でした。「日本の蘇生」でも取り上げましたが、ガンジーの理想を端的に表している、ニューデリーのラージガートにあるガンジーの慰霊碑に刻まれているという、「七つの社会的罪 Seven Social Sins」 を以下に掲げておきます。
 
  七つの社会的罪

  理念なき政治   Politics Without Principles
  労働なき富    Wealth Without Work
  良心なき快楽   Pleasure Without Conscience
  人格なき学識   Knowledge Without Character
  道徳なき商業   Commerce Without Morality
  人間性なき科学  Science Without Humanity
  献身なき宗教   Worship Without Sacrifice

「日本の蘇生」を書いている時に、例えば現代のアメリカという社会を考えてみた場合、この七つの社会的罪が悉く当てはまるのに驚いたものでした。

 21世紀に入って、インドはBRICsの一角として経済成長を遂げ、その存在感を増してきました。もしガンジーが生きていたら今のインドをどう見るのだろうと私は時々考えます。そしてインドの人々が豊かになることは喜んでいるにしてもまだまだ理想のインドには遠い、と感じているのではないだろうかと思います。

 インドが最初にオランダ、次いでイギリスやフランスによって徐々に植民地化されていったのは17世紀初頭のことですが、18世紀半ばにはイギリスがオランダ・フランスを駆逐してインドに覇権を確立しました。イギリスの支配が次第に過酷なものになるに連れインド人の反英感情も高まり、1857年、最初の反乱が起きます。そしてガンジーが歴史の表舞台に立ち、独立運動を指導するようになるのは1919年、第一次大戦終了後のことです。
 ガンジーが理想としたのは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和であり、「一つのインド」でした。分離独立には強く反対していました。
 元々ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分断を図ったのはイギリスです。独立運動の高まりに危機感を感じたイギリスは、独立運動の宗教的分断を図るため、1906年、親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させました。
 第二次大戦後の1947年6月、王室の一員で、最後のインド総督であったマウントバッテン卿はインド・パキスタン分離独立案を発表。そしてその直後から、ガンジーが怖れていたように、インド各地でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で衝突が起こり、インドとパキスタンの間で紛争が始まりました。ガンジーはそれに抗議し、双方に融和を呼びかけて断食中、狂信的なヒンドゥー教徒の青年によって暗殺されました。

 イギリスの策謀によって引き裂かれた二つの国家は長い歴史と文化を共有しており、双方が核を持って睨み合っている状態は、ガンジーにとっては極めて不本意な筈です。尤も、「一つのインド」を双方の国民が望むかどうかは叉別の話なのですが。

 さて、目を中東に転じると、ここにも叉、帝国主義時代の残滓が見られます。
 イスラエルという国家、不自然に引かれた国境線と、それによって分断された国家群・・・。

 昔、「アラビアのロレンス」という映画がありました。ゆらゆらと地平線に姿を現す大きな太陽や、陰影に富んだどこまでも続く白く雄大な砂漠を舞台に繰り広げられる迫力あるシーンの数々、そしてロレンスという、単なる「砂漠の英雄」ではない、どこか性的に錯倒した複雑な人間性を滲ませるピーター・オトゥールの名演技やオマー・シャリフの精悍な風貌に魅せられた、私にとって忘れがたい映画の一つでした。その中で、 砂漠に横座りしたロレンスが「何故砂漠が好きなのか」と聞かれて砂を掴みながら「清潔だから」と答えるシーンが何故か印象に残りました。ロレンスの深い孤独感を感じさせるシーンでした。
 けれでも私はこの映画を見た時はその複雑な時代背景については殆ど何も知りませんでした。。
 この映画は1916年ー1918年にかけての第一次大戦中の2年間、オスマン帝国からの独立とアラブ統一国家の樹立を目指して立ち上がったメッカの太守フサイン・イブン・アリーの戦い、所謂「アラブの反乱」を描いています。そしてアラブ人たちを統合してオスマン帝国軍と戦わせるためにエジプトのイギリス軍から送り込まれたのがト-マス・エドワード・ロレンスでした。彼は際だった軍事の才能を発揮し、非正規のアラブ軍を率いて、義経の一ノ谷の戦いに於ける「鵯越の逆落とし」を思わせるような奇襲作戦で、オスマン軍を背後から襲ってアカバを陥落させ、オスマン帝国の鉄道網を破壊し、シリアのダマスカスに入城してオスマン軍から解放します。しかし結局「大アラブ王国」は成立しませんでした。そしてそれを阻んだのは「イギリスの三枚舌外交」といわれた、互いに相矛盾する三つの秘密外交でした。

 1915年、フサインとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間で、「イギリスは対オスマントルコ戦への協力を条件にアラブの独立を支持する」という「フサイン・マクマホン協定」が結ばれました。
 一方でイギリスは1916年に、フランス、ロシアとの間で、オスマン帝国領を三国で如何に分割するかを取り決めた秘密協定を結んでいました。イギリスの中東専門家マーク・サイクス とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ・ピコ によって原案が作成されたところから、「サイクス・ピコ協定」と呼ばれています。
 また1917年には、当時のイギリスの外務大臣アーサー・ジェームズ・バルフォアからイギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルドへの書簡という形で、パレスティナでのユダヤ人国家の建設に対するイギリス政府の支持を表明した「バルフォア宣言」なるものも存在しています。
 当時の覇権国家イギリスが戦争を有利に進め、中東に都合の良い「新秩序」を構築するために行った数々の策動は今に至るまで中東の地を非常に不安定なものにしています。

 そこに住む人々の意志や文化や宗教など無視してパイかなにかのように勝手に切り取り分け合う。帝国主義の時代の強国の意識とはまさに恐るべきものであると感じます。

 第二次大戦後、殆どの植民地が独立を果たしました。けれどもイギリスから覇権を引き継いだアメリカは、第二次大戦前ほど露骨ではないにしろ、「民主主義」の美名の下に主にCIAという諜報機関と軍事力によって世界各地で軍事介入を続け、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争といった侵略戦争を引き起こしました。21世紀に入ってアメリカの覇権が揺らぎだし、ドルが基軸通貨としての地位を失おうとしているこれからの世界は、ようやく帝国主義と訣別して、世界の国々が民族や宗教や文化等の多様な価値観を認め合う共生の世界へと変わっていけるのか、あるいはさらなる混迷が待ち受けているのか。それはまだ分かりませんが、いずれにしても今、右とか左とかのイデオロギーを超克した、もっと普遍的な価値観が求められているのだと思います。何故なら右とか左とかのイデオロギーそのものが18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで生み出された概念であり、決して普遍的なものではないからです。
 1970年代、私は資本主義にも共産主義にも失望して、いわゆるイデオロギーとは全く無縁の日々を過ごしていました。1976年に田中清玄氏と出会った時、戦前は武装共産党の書記長まで務めた左翼であり、戦後は右翼といわれていた先生がすでに左翼でも右翼でもなく、今西錦司氏の「棲み分け共生」という思想に深く共鳴されていることを知りました。このことはいつか詳しく書きたいと思っていますが、それはヨーロッパ的な一神教、一元論ではなく、全ての自然の中に八百万の神の存在を感じる日本人の自然観や感性、人間も自然の、大宇宙の一部であると説く仏教思想などから産まれてきた思想であり、ナショナリズムとも社会主義思想とも無縁の世界でした。

 12月22日付け読売新聞に佐伯啓思京都大学教授が「首相は思想的立場を明確に」という記事の中で
「反米というのは単に米国が嫌いなのではなく「かなり信念をもった保守」か、あるいは”左翼”だ。保守はナショナリズムの観点から、左翼は昔の社会主義の建前から。反米主義は一つの政治戦略だが、首相にはその強烈な政治的立場も見受けられない」
と言っているのを読んで大きな違和感を感じました。鳩山首相が右翼でも左翼でもないことを「思想的立場が明確でない」というのは私には時代錯誤と思われてなりません。ポスト冷戦の、多極化へと向かう今の世界に求められているのは、右や左のイデオロギーではないはずです。
 例えばガンジーの政治思想が右翼でも左翼でもなく、インドで産まれた仏教思想やヒンドゥーの思想などに基づいた、そして絶えざる真理の探究の末に形作られたもっと普遍的なものであるのは明らかです。
 但し鳩山首相がその思想に基づいた政策を信念と堅固な意志をもって推し進めようとしているかどうか、という点に関しては私も大いに物足りなさを感じているのですが。

 最後にガンジーの二つの言葉を掲げます。

「狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、自由と民主主義の聖なる名のもとで行われるかということが、死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか」(自叙伝 より)

 叉第二次大戦中の日本に対しては、
「私は、あなたがた日本人に悪意を持っているわけではありません。あなたがた日本人はアジア人のアジアという崇高な希望を持っていました。しかし、今では、それも帝国主義の野望にすぎません。そして、その野望を実現できずにアジアを解体する張本人となってしまうかも知れません。世界の列強と肩を並べたいというのが、あなたがた日本人の野望でした。しかし、中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって実現するものではないはずです。あなたがたは、いかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない。ただ、剣にのみ耳を貸す民族と聞いています。それが大きな誤解でありますように。
   あなたがたの友 ガンディーより
(1942年7月 「すべての日本人に」と題された公開文書より。以上Wikipedia マハトマ・ガンジーより引用しました)

 


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