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911の真相とアメリカの戦争

投稿日  2010年03月26日

 2001年9月11日、ニューヨークで同時多発テロが起きた直後、アメリカのあるテレビ局が
「ケネディ暗殺事件がそうであるように、人々はこの事件と共に、その時自分は何処で何をしていたか、を記憶することになるだろう」
と言っていました。
 確かにその衝撃度からいって数十年に一度の大事件であり、私もあの日何処にいて何をしていたかを鮮明に覚えています。
 私はその日、娘と姪を連れてパリを散歩していました。ノートルダム寺院の塔の天辺まで登ってセーヌ川とパリの市街を見下ろし、ブルバール・サンミッシェルとサンジェルマンが交差する角の 若い頃気に入っていたカフェ・ド・クリュニーが味気ないセルフサービスのレストランになっていることに失望しつつそこで昼食をとり、その後姪と別れて主人の待つホテルに戻るためタクシーを拾いました。セーヌ河畔を走るタクシーの車内ではラジオからなにやら興奮したアナウンサーの声が響き渡っていました。一体何を言ってるんだろう、と耳を澄ますと、どうやらニューヨークでとてつもないことが起こったらしい。ハイジャックされた二機の飛行機がワールドトレードセンターのビルに激突した!?くらいの事は分かりましたが、しきりに繰り返される「ベン。ラダン(ビン・ラディン)」とか「マスード」(北部同盟を率いてソ連軍と戦い、アフガニスタンに穏健なイスラム政権の樹立を目指す。9・11の二日前に暗殺された)などの言葉は、それが人名であるらしいとは分かっても私には意味不明でした。アラブ系とおぼしき運転手が対向車線のタクシーの運転手と私には理解できない言語で何かを叫び合い、その興奮ぶりは異様でした。
 ホテルの部屋に駆け込むと、主人がテレビに釘付けで、そこでようやく事件の概要は分かりましたが、私どもはその夜、ブローニュの森の中にあるレストランに招待されており、ホテルを出た時、アメリカの空にはまだ10機余りのハイジャックされた飛行機が飛んでいる、という情報が流され、一体これからどういうことになるのだろうと、食事中もそのことが頭をかすめました。

 もう一つ、私が9・11と併せて記憶に留めたことがありました。それはこの事件と直接の関係はないのですが、翌日娘達の部屋に行くと、かつてフランスの植民地だったコンゴから来たというメイドさんが部屋の清掃をしていました。何がきっかけでそんな話になったかは覚えていないのですが、彼女は少し訛りはあるものの流暢なフランス語でこんなことを語りました。
「マダム、アフリカで何が起きているか知ってますか。何故絶え間なく内戦が起こるか。彼等が武器を渡して双方を戦わせているんですよ。私の村でもそうでした。対立を煽り、武器を渡して殺し合いをさせる・・・」
 彼女の目は怒りに燃え、その言葉には重みがありました。何故彼女が9・11を報じるテレビを前にして私に同時多発テロではなく、このような事を語ったのか、その時の私にはよく分かりませんでしたが、その後アフリカの内戦のニュースに接する度に私はあの時の彼女の言葉を思い出しました。「分断して統治する」という旧宗主国のアフリカ支配の実態、武器商人たちの跋扈・・・。けれども昨今ようやくアフリカ諸国が欧米の内政干渉を廃して統合を模索しながら発展して行く兆しを感じております。

 私が9・11同時多発テロに疑問を感じるようになったのはそれから数年後、パソコンを始めてインターネットの色々な情報に接するようになってからのことでした。そして調べて行くうちに、ワールドトレードセンターの3棟のビルはアメリカ政府の公式発表のように、テロリスト達がハイジャックした飛行機が激突した結果崩落したのではなく、何者かによって爆破解体されたのだと確信するに至りました。こういうことを容易には信じない主人だってこれを見れば、とある日私は様々な資料をプリントアウトして主人に説明を試みたのですが、主人はそれを見るなり怒り始めました。「こんなものを信じるとは!」
 それ以来この話は我が家ではタブーでした。
 その主人があっさり「爆破解体説」を受け入れたのは、京都大学の工学部を出たある大手メーカーのエンジニアだった方からお話を聞いた時でした。そのメーカーはWTCワールドトレードセンターが建設されたときに資材を納入しており、その方は事件直後現場に行ってご自分で色々と調査なさった末に、三棟のビルのあのような崩落は事前に爆薬を仕掛ける以外には起こり得ないこと。飛行機が衝突していない、一号館、二号館から離れて建っていた7号館まで崩落するのは不自然過ぎること、飛行機が突っ込んだとされる国防総省の事件現場の不自然さ等々を専門家の立場から極めて科学的に分かりやすく説明してくださいました。

 インターネット上には9・11同時多発テロの真相解明を試みる様々なページがありますが、上のような事情からすれば一番説得力があるのは、「9・11の真実を求める建築家とエンジニアたち(Architects & Engineers for 9・11 Truth = AE911Truth)」のホームページかもしれません。

 この会は建築や構造力学などの専門技術者たちの集まりで、2009年11月の時点で970名が、氏名、経歴、肩書きを明らかにしたうえで署名し、会員となっているとのこと。アメリカ以外にもカナダ、メキシコ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、様々な国の専門家たちが参加していますが、日本人の名前は見当たらないようです。
 代表者のリチャード・ゲイジ氏はアメリカ建築協会に所属する現役の建築家で、「誰がなんの為に」ということには一切触れず、ひたすら専門家として、建築学的、構造的、力学的に9・11の真相解明に努め、米議会に対してこの件に関しての再調査を要求するために活動しているとのことで、昨年12月に来日して各地で講演を行い、その主張は週刊朝日にも紹介されました。
 私も「誰が、なんの為に」という問題はここでは避けて通ろうと思います。この件に関して様々な情報が流され、世界史の暗部にまで踏み込んで様々な秘密結社のことなどが語られ、この事件をある壮大な計画の一端であると指摘する人々もいますが、私にはそれを検証する術も能力もありません。ただ9・11というのは調べてみると、長い年月をかけて練り上げられ、驚くほど周到に準備された壮大なプロジェクトであり、アメリカ政府内部の関与が全くなくて実行出来ることとは思えません。

 政権交代しても益々対米従属一辺倒に傾いてゆく日本ではこの件について真剣に考える人はごく少数派です。しかしもしあの世界中の人々の目を釘付けにした同時多発テロが、アメリカ政府が主張するように、オサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダによって実行された犯行でないのならば、小泉政権が無条件に支持し、現在もアメリカの「正義の戦争」の根拠となっている「テロとの戦い」そしてそれを口実にして始められたアフガン戦争、イラク戦争とは一体なんだったのでしょうか。アメリカの最も忠実な同盟国であり、憲法9条に守られて直接戦闘に参加することだけは免れているもののアメリカの戦後のすべての戦争に基地と税金を提供して加担してきた日本の国民として、私どもはこの問題を直視する義務を負っていると思います。そこでアフガン戦争、イラク戦争についてここでもう一度考えてみたいと思います。

 アメリカ政府が同時多発テロの主犯をオサマ・ビン・ラディンと断定したのは事件発生の僅か4日後の9月15日のことでした。世界はビン・ラディンと彼が組織するアルカイダの危険性におののき、アメリカ国内はもちろんの事、世界中で報復やむなし、の空気が広がりました。そして10月7日、アメリカはビン・ラディンが潜んでいるとされた地域への空爆を開始しました。それから8年半余り、アメリカはアフガニスタンとイラクであらゆる残酷な近代兵器を駆使した一方的な戦闘を行い「誤爆」によって大量の市民達を虐殺し、そして今もアフガニスタンでの戦闘は継続中。タリバンを掃討するする、という口実のもと、例えばアフガニスタン・パキスタン国境に無人飛行機を飛ばして連日のように空爆を行い、一般市民を巻き込んでも意に介さないようです。
 我が国の総理は国会の施政方針演説で「命を大切にしたい」と繰り返しましたが、彼の言う「命」とは日本人の命しか意味しないのでしょうか。理不尽に突然、子供や親や兄妹の命を奪われた人々の怒りと悲しみを私どもは他人事として無視していてよいのでしょうか。
 しかも今に至るまで、「テロとの戦い」の口実であった筈のアルカイダという組織の実態は明らかにならず、オサマ・ビン・ラディンはフセインのように捕縛されることもなく、生死も不明の状態です。
 ビン・ラディンの生家がサウド王家とも極めて親しいサウジアラビアの大財閥であることはよく知られた話です。Wikipedia によれば、

「現在、『サウジ・ビン=ラーディン・グループ』は、アメリカ、アジア及び欧州に多数の支部と子会社(60社以上)を有し、石油及び化学プロジェクト、遠距離通信及び衛星通信に従事している」
 そして

「グループの特徴としては、多数のアメリカ人ビジネスマンが参加していることが挙げられ、アメリカのブッシュ大統領一家とも金銭的つながりがあり、父のムハンマド・ビン=ラーディンは元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュとともにカーライル投資グループの大口投資家であり役員だった。また、ウサーマの兄のサーレムは元アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュがかつて経営していた石油会社の共同経営者である」

 2004年のカンヌ映画祭パルムドール(作品賞)を受賞したマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏911」はこの辺りの事情を明らかにしている訳ですが、ビン・ラディンがこの一族の反逆児なのか、あるいはこの一族がアメリカの支配階級と繋がりを深め、親子二代で大統領になったブッシュ一族とビジネスを展開してゆくうえでアメリカの諜報活動や謀略に何らかのかたちで関わっていたのかは、私にはよくわかりません。けれども例えば2004年11月2日の大統領選挙の数日前、中東の衛星テレビ、アルジャジーラが放映したビデオで、2001年の9・11同時テロを行ったことを認め、更に「米政府の政策が続けば今後も同様のテロが繰り返されるだろう」とアメリカ国民を脅した時、まるでブッシュへの応援演説だと感じてしまったのは否めません。
イスラムの大義の為に戦う単なる「反米の英雄」ではないように思えます。

 21世紀に入ってからのアメリカは主にイスラム過激派との終わり無き「テロとの戦い」を始めて、イスラム教徒たちのアメリカへの敵対心を煽っていますが、1970年代後半からはアフガニスタンで、ムジャーヒディーンと呼ばれるイスラムの大義の為の聖戦を唱える過激なイスラム教徒達を組織して養成し、資金提供を始めています。アフガニスタンに於けるソ連の影響力を牽制するためでしたが、若き日のビン・ラディンもそこに加わっていた、という指摘をよく目にします。
 1978年共産主義政党であるアフガニスタン人民民主党政権が誕生し、アメリカの介入も本格的なものとなっていったようですが、 その目的は
「カブール政権を守るためにソ連がアフガニスタンに侵攻するようそそのかし、ライバルである超大国にも『ベトナム』をお見舞いしてやることだった」
と公然と認めているのはカーター政権(1977-1981)の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたブレジンスキーです。彼の作戦は見事功を奏して、1979年の12月、ソ連のアフガニスタン侵攻が始まり、それはやがてソ連崩壊へと繋がって行きます。

 アフガニスタンは、パキスタン、イラン、中国、そして中央アジアのウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、六つの国々と国境を接しています。つまり、中華文明、インダス文明、ペルシャ文明、というユーラシア大陸の大文明が交錯する地にあり、様々な民族がぶつかり合って、島国の日本では想像もつかない動乱の歴史が繰り広げられてきました。
 紀元前4世紀頃、現在のアフガニスタンはアケメネス朝ペルシャの領土となっていましたが、BC330年ペルシャがアレクサンドロスによって滅ぼされたことによって、東西の文化は融合し、やがて今のパキスタン北部からアフガニスタンに跨るガンダーラの地に、ギリシャ彫刻の影響を色濃く受けた仏像が世界で初めて生み出されます。その後アフガニスタン北部に興ったクシャン朝の全盛期、カニシカ王の治世のもと、仏像はアジア全域に広がってゆき、やがてシルクロードを通って日本にまで到達するに至ります。そしてそれは日本の文化や精神風土に計り知れない影響を与えました。
 ペシャワールを中心とするガンダーラの地が、絶え間ない戦禍に晒されている現状に心が痛みます。

 さて、今から丁度7年前の3月20日、アメリカはイラクへの侵攻を開始しました。
 世界中で巻き起こったイラク反戦デモは史上空前と言われ、述べ1000万人の人々が参加したと言われています。
 たまたまメールを整理していたら、イラク戦争開戦時にイタリアに滞在していた知人のメールの次のような一節を見つけました。

「 ミラノ滞在中に予測されていた通り、イラク戦争が勃発、思いがけずイタリア全土で繰り広げられた反戦デモを目の当たりにしました。
フィレンツェでは50万人もの大規模なデモとなり、中央市街地には近づけない有様でした」

 私も結婚前仕事で年に何回かイタリアに行っていた時期がありましたが、フランスならともかく、イタリア全土で反戦デモが繰り広げられる、というのは彼等の気質からしても私には驚きであり、ましてやあのルネサンスの時代の栄光を今に留める古都フィレンツェの中心街がデモの人々で埋め尽くされる光景は私の想像を超えています。
 世界中でこれほど多くの人々をイラク反戦に駆り立てたものはブッシュの唱える「先制攻撃論」や「強制民主化」の危険性だったように思います。
「イラクには大量破壊兵器がある」。
「フセインはアルカイダと結託してアメリカ本土を核攻撃してくるかもしれない。だからやられる前に攻撃すべきだ」
とアメリカ人の恐怖心を煽り、独裁者フセインへの憎悪を掻き立て、「独裁者からイラクの人々を解放するのはアメリカの崇高な義務である」と「正義の戦争」を強調したわけですが、その根拠となるものはあやふやで、全ての加盟国に、他国への武力による威嚇や干渉や武力の行使を禁じた国連憲章の精神や、戦争の放棄や戦争の違法性の確立を目指す、1928年の不戦条約以来の国際法の精神にも反していました。
 結局アメリカは世界中の反対の声に耳を貸さず、開戦時にすべての加盟国に義務づけられている国連安保理の決議も待たず、イラクへの空爆を開始し、2003年5月1日のブッシュ大統領による「大規模戦闘終結宣言」以降もイラク全土で激しい戦闘が繰り広げられました。
 戦争の口実に使われた大量破壊兵器は見つからず、フセイン政権とアルカイダは関係がなかったことも分かり、この戦争は如何なる意味に於いても大義も正当性も全くない戦争でした。
 開戦後暫くしてNHKの国際放送で、アメリカ国防総省の機密文書から、嘗てアメリカ軍がイランと戦わせるためにイラクに化学兵器を供与していたことが判明した、という報道に接して激しい怒りを覚えたことがあります。イラク戦争開戦前、アメリカはサダム・フセインの残虐性を示す一例として、クルド人に対する化学兵器の使用を挙げてフセインを激しく非難していたはずです。
 
 「自由と民主主義」の美名のもとに行われたこの戦争で一体どれほどの人名が失われたのでしょうか。最近見たテレビの報道ではアメリカ軍の死者を約4500人と伝えていました。イラク人の死者数に関しては5万人-10万人と数字にはばらつきが目立ちますが、そんなものではない、という指摘もよく目にします。例えばフリーのジャーナリスト 志葉 玲さんがホームページで、アメリカのジョンズホプキンズ大学医学部のギルバート・バーンハム教授ら4人の米国とイラクの研究グループが2008年5月から7月にかけて調査を実施し、イギリスの有力医学雑誌「サンセット」に発表した論文を紹介していますが、それによれば「2003年3月から2008年6月までのイラク人犠牲者の数は、約65万5000人に達する」とのこと。無論鵜呑みにするわけにはいきませんが、それにしても公式発表との間に何故このような差が生まれるのか。志葉さんは自身何度もイラクで取材した経験も踏まえて、
「 2004年4月、11月のファルージャ市での虐殺を始め、ラマディ、カイム、ハディーサなどの地域で、街を包囲し病院や学校、一般住宅をも無差別に攻撃を行う、ということを米軍は繰り返してきた。これらの地域には、報道関係者はおろか、医療関係者も排除されたので、現地での被害実態はこれまで明らかになっていなかった」
と書いています。
 「テロとの戦い」は残酷な戦争です。テロリストの掃討作戦が行われる時、兵士たちには一般市民とテロリストの区別は付きづらく、しばしば市民をも殺傷することになり、心に重い傷を負ったイラクからの帰還兵の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされているといいます。

 イギリスでは昨年イラク戦争に関する独立調査委員会が立ち上げられ今年1月には開戦時にブッシュ大統領を支持してイラクへの派兵を行ったブレアもと首相が証人喚問されました。またオランダでも同様の調査委員会が1月、「イラク戦争は国際法に違反した不法な戦争だった」と結論づけています。
 日本でも同様の調査委員会を立ち上げ、小泉政権が無条件に支持し、イラクのサマワに自衛隊を派遣し、兵士や物資の輸送を担ってアメリカ軍と共に戦ってきたことの是非を検証することを国民として求めて行くべきではないでしょうか。911同時多発テロと、その結果引き起こされたアフガニスタンとイラクでのアメリカの戦争を直視し、検証することなく、ひたすら日米軍事同盟にすがり、自国の安全だけを考えてアメリカの核の傘のもとに安住し、アメリカに侵略されている国の人々の悲惨な状況には目をつぶる。そのようなこの国の姿を情けないと怒る人々、とりわけ正義感の強い若者たちが日本にはもういなくなってしまっただろうか、と寂しく思っていたら、私の尊敬する女優の岸恵子さんが吉永小百合さんとの対談で次のように語っているのを見つけました。
「夫から受けた影響は数えきれませんがその一つが社会、ひいては世界に目を向けて自分の意見を語ることです。でも世間というものはときにせっかちで的はずれなレッテルを貼りたがる。以前元首相の中曽根さんのパリでの演説が素晴らしく日本をアピールしたと言ったら岸恵子は中曽根派なのかといい、アメリカのイラク侵攻を批判したら今度は共産主義かという。そうした暗愚な誤解を承知で、私は今世界に広がる「核」の恐怖、特に真近な国が持ってしまった「核」が果たすかもしれない最悪の事態に備えて議論するのは必要に思えるの。自分が正しいと思うことは表明したいの。中略
 日本は人を殺さなくていいけれど、大義とか正義の美名のもとに地球上の弱者は今日もさまざまな形で殺され続けていると思うと我慢ができないんです」。
(家庭画報 新年特大号)
 
 パレスティナで、イラクで、アフガンで、家を焼き払われ、生活を破壊され、命まで奪われる多くの人々のことを考えていつもやり場の無い怒りを感じている私としては、岸さんの「我慢ができないんです」という言葉、励まされました。


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