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ホームはじめにプロフィールに代えて「日本の蘇生」で描いた2030年の「この国のかたち」ブログメール

覇権国アメリカの謀略とダブルスタンダード

投稿日  2010年06月03日

 5月28日、普天間基地移設問題で、移設先を米軍キャンプ・シュワブがある「沖縄県名護市辺野古」とすることを明記した日米の共同文書が発表されました。
 普天間基地の移設先について、「できたら国外、最低でも県外」という鳩山首相の掲げた公約に、僅かながら未来への希望を感じていた沖縄の方たちの失望感と怒りは想像に余りあるものがあります。
 そして「戦後日本の安全と平和は日米安保によって守られてきた。アメリカに見放されたら大変なことになる」と考える人にとっても、「日本は独自に強い軍事力を持つべきで、核兵器も排除すべきではない」と考える人にとっても、あるいは、「日本は憲法を改正して、アメリカと共に戦えるようにすべきだ」と考える人にとっても、そして少数派ながら「日本は、EUが世界に先駆けて確立し、中東、アフリカ、中南米でも構想されつつある、多国間の安全保障の枠組みの構築に努め、国連の機能を改革・強化して、大国が戦争を起こしにくくする世界の協調体制を作るように努力すべき」と考える私のような者にとっても、考え方の違いを超えて「呆れてものが言えない」結末であったと思います。
  鳩山政権のこの迷走劇で唯一よいことがあったとすれば、日本の安全保障の在り方や沖縄の置かれている現状等について人々が少しは考えるきっかけとなったことではないでしょうか。

 昨年、組閣直前に発表された「私の政治哲学」の中で、
 「日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづける」
としながらも、「アメリカ一極時代の終焉」を予感し、「ドル基軸通貨体制の永続性への懸念」を表明する一方で、東アジア共同体については、
「地域的な通貨統合、『アジア共通通貨』の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない」としていた鳩山総理。
 そして、民主党のマニフェストには、

「日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」とし、
「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」
と書かれていました。 

「日米安保」という対等ではあり得ない、そして冷戦後は中国という、本来は共に手を携えて東アジア共同体の構築に向けて力を合わせ、また互いに経済成長の力強いパートナーであるべき国を仮想敵国とした二国間の軍事同盟に縛られ、世界に他に例のない、治外法権の米軍基地をこれだけ抱えている日本はアメリカの属国であり、この状態に甘んじている限り日本に輝かしい未来はない」と考え続けてきた私にとって、それは未来志向の日本の方向性を示しており、鳩山政権に期待する気持ちになっていました。
 ところが鳩山総理に精彩が感じられたのは政権発足後ほんの数週間。誰かに脅されてでもいるのか。もの凄い圧力をかけられているのか。ひたすらアメリカに平身低頭し、態度は卑屈で目はうつろ。
 核安全保障サミットでは正式の首脳会談は行われず、夕食会でオバマ大統領にすり寄る姿が全米に放映され、ワシントンポスト紙から「loopy 愚か者」と嘲笑される情けなさで、日本国民としてやりきれぬ日々でした。

 対等な日米同盟関係など100年早い、とアメリカにすごまれ、追いつめられ、もろくも自分の信念と言葉を裏切った鳩山総理の姿を見れば、私の願う「どこの国にも従属しない尊厳ある国のかたち」を希求する政治家はもう当分現れそうにもありません。後はただ世界の大きな歴史の流れの中でいくら目を塞いでいても分かるほどに国際情勢が変化し、「すり込み」が解けて日本人がもう少し国柄を大切にするようになれば、自ずから日本にも変化の兆しが現れて来るであろうことをじっと我慢しながら待つしかなさそうです。

 ところでビル・トッテン氏をご存知でしょうか。アメリカカリフォルニアで生まれ、カリフォルニア州立大学を出、1963年にアポロ計画で有名な ロックウェル社に入社。その後アメリカ大手ソフトウェア会社に移り、1969年に初来日して日本に魅せられ、1972年に日本でパッケージ・ソフトウェア販売会社「アシスト」を設立。現在社員800人余りの会社に育て上げる傍ら、市場原理主義に冒されて変質してゆくアメリカ社会を嘆き、そのアメリカに支配される日本を憂うる10冊ほどの著作を発表し、またour world というコラムを書き続けていますが、その論旨は明晰で、人生哲学や経営理念はまっとうそのもの。私にとって「古き良きアメリカ人」の一典型といえる人です。
 2010年4月19日の「日本に訪れた素晴らしい好機」というタイトルのコラムでも冒頭

「日本の政治家がアメリカの言いなりになる姿を目にするにつけ、アメリカ国籍を棄て、日本国籍を取得した者としてやりきれない気持ちになる。敗戦による占領が終わり50年以上経つのに、いまだに宗主国の指示のもとでしか動けない日本のリーダーたちの姿は、同じようにイギリスから支配をうけたインドのようだ」。と書き、
「日本のサムライ階級が茶の湯に親しみ、花を活け、隠遁的芸事に勤しんでいるとき、ヨーロッパ人は貿易、征服、戦争、植民地化といった本当の意味の帝国の建設を目指して東西南北に広がっていたのである。
 そんな日本を変えたのは、戦後、その精神の根底にあった 古神道、仏教、儒教、武士道 などを一掃させる教育制度だったことはいうまでもないだろう。アメリカは、インドと同じく外見は日本人だが中身をアメリカ人に作り変えることにみごとに成功した。
 そう考えると、宗主国アメリカの没落は日本に訪れた素晴らしいチャンスのときである。失われた10年、20年を嘆くのではなく、それ以前の(もちろん明治時代の国家神道以前の)、日本の素晴らしい伝統文化、価値観を取り戻すのにこれほどふさわしい時はない」。
と締めくくっています。将に 我が意を得たり の内容で、私にとってはとりわけ(もちろん明治時代の国家神道以前の)という一文にトッテン氏の日本を見る目の確かさを感じます。そのトッテン氏が今年2月22日に「日米安全保障条約」というタイトルで書いています。
「沖縄の人だけでなく、私たち日本国民全員が「自分のこととして」この問題を考えた時、根本的な問題は基地移転ではなく、1951年、敗戦国である日本がアメリカと結び、1960年に改定された日米安全保障条約にあると思う」と述べ、
 「 鳩山政権が公約の「対等な日米関係」を実践しようとしているなら、ぜひ安保条約を読んで欲しい」。と訴えています。
 さて不勉強ながら初めて読む日米安保条約の第一条。

「締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」

 ここに響き渡る理想主義は国連憲章や日本の憲法第九条の精神と全く同質のもので、おそらくこのような理念に基づいた戦後世界の新秩序を夢見たアメリカ人たちは政権内部にも確かにいたのだと思います。もし日米安全保障条約が微かにでもこのような精神を反映したものであるなら、私とてこれほどこの軍事同盟に危機感は持たないと思います。しかし現実はおよそ、この第一条の理想主義とはかけ離れています。トッテン氏も、

「いつアメリカが国際紛争を平和的に解決しようとしたのか。ベトナムやイラク戦争をみるといい。またグレナダ、ニカラグア、ユーゴスラビア、そしてアフガニスタンでアメリカは何をしたのか。アメリカがこの条約の通りに振る舞い、武力による威嚇や行使を1960年からしていなければ、今頃世界はずっと平和で安全な場所になっていただろう」。
と書いています。

 普天間移設問題などを考える時、日本の大手マスコミがアメリカが戦後行ってきた戦争や謀略の実態などに触れることはまずありません。
 
 4月29日にNHK第一で午前中「双方向解説 そこが知りたい 普天間そして日米同盟の行方は」という番組をやっていましたが、出演していた学者や評論家たちは中国や北朝鮮の脅威を強調し、危機感を煽る一方で、アメリカを「日本と自由や民主主義や人権などの価値観を共有する国」「アメリカの目指しているのは世界の平和と安定」とし、素直にこの番組を見れば大多数の人が「軍拡に走る中国への抑止力としてアメリカ軍の日本駐留はやむを得ない。日米同盟は堅持すべきだ」と思わせるような流れになっていました。
 日本の安全保障については憲法9条のことも含めて論じ始めれば余りに長くなりそうなので、ここでは戦後イギリスから覇権を引き継いだアメリカの行ってきた数々の戦争や軍事行動は果たして「世界の平和と安定のため」だったのか。アメリカが常に大義名分として掲げる自由や民主主義や人権はダブルスタンダードではないのか、という点を考えてみたいと思います。

「多極化とはなんなのか」というタイトルのブログの冒頭で私は1973年、アメリカCIAが画策した軍事クーデターによって、民主的に選ばれ国民の圧倒的な支持を得ていたチリのアジェンダ政権が倒されたこと、そしてアメリカが権力の座に押し上げ軍事独裁政権を樹立したピノチェトが推し進めた経済政策が、いわゆる市場原理主義(ネオリベラリズム)経済の最も初期の例だったと言われている、ということを書きましたが、民主主義を標榜するアメリカが国民の支持を得て選挙によって選ばれた政権を倒したのはもちろんチリだけではありません。中南米で成立した多くの軍事独裁政権の裏にCIAとアメリカ政府の関与があった、ということがよく指摘されますが、ここではアメリカとイラン、イラクの関係を簡単に書いておきます。そこに見事なまでの、ガンジーの所謂「Politiques without principales」というアメリカ政治の本質が見えてきます。
 戦後のイランは親英的なパーレビー朝のレザー・シャーの下、立憲君主制を布いていましたが、1951年民族主義者のモサデクがイギリスが所有する石油会社の国有化を主張して議会によって首相に選ばれるとイギリスなどが厳しい経済制裁を行って圧力をかけますがモサデクは国有化を続行。その後の選挙で圧勝し、シャーは国外に亡命。しかしアメリカCIAの画策によってシャーは亡命先から呼び戻されて復権し、モサデクは首相の座を追われて逮捕され、以降イランはアメリカに支えられたレザー・シャーの君主独裁のかたちとなってゆき、アメリカはイギリスと共にイランの莫大な石油利権を手中に収めます。
 2009年6月4日、中東訪問中だったオバマ大統領はエジプトのカイロで行った演説の中で、
「冷戦中、民主的に選出されたイラン政権の転覆に米政府が関わっていた」と述べて、アメリカ大統領として初めてこの事実を認めました。
 その後1979年のイスラム革命によって国王が失脚すると、同じ年にイラクの大統領となって権力を掌握したサダム・フセインに接近して、イラン・イラク戦争(1980年9月ー1988年8月)ではフセイン政権に総額297億ドルにも及ぶ巨額の兵器供給やCIAによる情報提供を行いました。(wikiを参照)ある意味でフセインを怪物に仕立てたのはアメリカであったとも言える訳ですが、その後の湾岸戦争ではイラクがクエートに攻め込んだことを口実にイラクに侵攻。そしてイラク戦争に関してはブログ「911の真相とアメリカの戦争」で書いた通りです。
 サダム・フセインのことを少しでも調べれば、彼が権力を掌握あるいは維持する為には暗殺、粛清も全く厭わない極めて独裁体質の強い人間であることはすぐに分かります。サダムに化学兵器を含む莫大な軍事援助を与えたアメリカが「イラク戦争を起こしたのはフセインの圧政から人々を解放してイラクを民主化するためだった」と言っても誰が信用するのでしょうか。

 アメリカが権力の座に据えた悪名高い人物の一人にパナマのノリエガ将軍がいます。

<冷戦下において、アメリカの事実上の庇護のもとマヌエル・ノリエガ最高司令官(将軍)の軍事独裁下にあったパナマは、非民主的な政治体制が原因で中南米の中でも孤立していただけでなく、中南米における麻薬ルートの温床となっているとされていた。
 なおノリエガは、冷戦下の1950年代からアメリカ中央情報局(CIA)のために働いていたことも明らかになっている。ノリエガはブッシュ大統領がCIA長官時代にその手先となり、キューバのフィデル・カストロ政権やニカラグアのサンディニスタ政権など、中南米やカリブ海の左派政権の攪乱に協力していた。>

 これはノリエガに関するwiki の記述の一部ですが、「民主主義」を掲げながら、実はアメリカは他国の国民がアメリカが権力の座につけた独裁者の圧制下に置かれることに関してはなんの痛痒も感じていないようです。
 「アメリカの目指すものは世界の平和と安定」と強調し、アメリカの正義を讃える評論家の先生たちはこれらの事を知った上であえて日米同盟堅持の為に目をつぶっておられるのでしょうか。中東や中南米では確かに過激なこともやったが日本に対しては誠実で信頼のおけるパートナーであった、とおっしゃりたいのでしょうか。

 これらのことは冷戦下で起こった古い話で、共産主義との闘いのためにはやむを得なかった、と言う人々もいるでしょう。しかし冷戦終了後のアメリカの戦争は兵器のハイテク化と相俟って益々大量の無辜の民を殺傷する残酷で非人道的なものになっています。
 「911同時多発テロの真相とアメリカの戦争」で、2003年のイラク開戦時から2008年6月までのイラク人犠牲者の数は約65万5000人、という、アメリカのジョンズホプキンズ大学医学部のギルバート・バーンハム教授らのチームが現地で調査し、イギリスの有力医学雑誌「サンセット」に発表した数字を紹介しました。
 アメリカを初めとする欧米諸国にとって「人権侵害」は彼等の価値観に反する許し難い事です。「チェチェンで、チベットで、ミャンマーで人権が侵害されている」と彼等が非難するとき、私も胸が痛みます。地球上に生きるすべての人の人権は尊重されるべきです。しかし最も著しい人権侵害は「戦争」に於いて起こるのです。アメリカにとって、イラクやアフガニスタンの人々は人権はおろか無差別に命を奪っても一向にかまわない存在なのでしょうか。

 イラク開戦時、小泉首相が支持したイラク戦争に抗議した唯一の外交官、天木直人氏がメールマガジン上で4月30日付け毎日新聞の記事を紹介していました。

 <オバマ米政権はアフガンやイラクで無人航空機をどんどん使って爆撃している。もはや人間を殺す事に何のためらいもなくなりつつある>

<米国本土の基地から衛星通信を使い。一万キロ以上離れた戦地で無人航空機を飛ばす。兵士は自宅で家族と朝を迎え、基地に出勤。モニター画面に映る「戦場」で戦い、再び家族の待つ家に帰る。
 午前中3時間はアフガンで(爆撃機を)飛ばし、1時間休憩して午後の3時間はイラクで飛ばす。
 そこには爆撃の犠牲になったおびただしい数の無辜の市民の悲鳴や悲しみ、怒りは一切聞えない。
 米軍はこの無人航空機をプレデター(捕食動物)と呼び、その後継新型機をリーパー(死神)と呼ぶ。
その無神経さに驚かされる。
 米兵は死なないで相手をいくらでも殺せる。米軍司令官は無人機を「最も価値ある兵器」と呼び、米兵が死なないから米議会では空爆を議会で取り上げることはない。戦争と認識すらしないのだ>。

 評論家や学者たちはこのような事実を直視し、日本とアメリカは価値観を共有している、といった美辞麗句は慎み、
「アメリカの戦争は残虐非道で、テロとの戦い で犠牲になる人々の人権は確かに無視されている。しかしそれでも国を守るために日米安保は堅持すべきである」と言って頂きたいと思います。
 そして私共は今、アメリカに基地を提供し、米国債を大量に買って戦費を貢ぎ、アメリカの非道な戦争と大量殺戮に加担することと引き替えに、アメリカに日本の安全保障を委ねる以外に、この国の安全保障の在り方はないのか、ということを自分たちのこととして考えてみるべきではないでしょうか。
 無論すぐに実現できるようなことではありませんが。


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