
投稿日 2010年08月13日
このところ今の日本社会で倫理・道徳が益々廃れ、人心が荒廃していることをひしひしと感ぜざるを得ない出来事が続いて、暗澹たる気持ちになります。
親殺し、子殺しがこれほど頻発する社会が他にあるだろうか、と私は常々思っているのですが、今回大阪のマンションで1才と3才の幼子二人の遺体が発見されたというニュースは、余りの痛ましさに、子供を産み育てた者の一人として慟哭を禁じ得ませんでした。
本来ならば何にかえても守ってやらねばならない、親以外に頼る術のない幼い我が子をアパートに残して内側からは開けられないようにして家を出、「一週間後に、子供たちは死んでいるかもしれないと思ったが助けてやろうという気持ちにならなかった」という母親の証言には戦慄を覚えますが、インターフォンがはずれていて、子供たちの泣き叫ぶ声は外に漏れていたらしいのに、児童相談所に通報する以外に、この子等の命を救うために何等成し得なかった周りの大人達。そしてこれほどの事態にも中に踏み込んで子供達を救い出そうとしない児童相談所の職員達。惻隠の情 というものがすっかり影を潜めてしまったこの社会が助けを呼ぶ幼子の命を見殺しにしてしまったと感じました。
もちろん私の身近で同じようなことが起こった時、私もなにもできないかもしれません。でもできることなら、子供たちの命を救う為に力を尽くしたい。喩え住居侵入罪に問われようともあの子たちを連れ出し、お風呂に入れて美味しい食事を食べさせて、抱きしめてやりたかった、などと思いました。
無論親が子を殺す、というおよそ他の動物には見られないことが日常茶飯事的に起こっている今の日本で、このような個人のセンチメンタリズムは何等問題の解決にはならないのですが。
この悲しいニュースの数日後、今度は家族崩壊の行き着く果てを私どもは見せつけられる事になりました。都内最高齢の百十三才の女性の所在が不明になっており、一緒に住んでいるとされていた長女は「母親とはもう二十年以上会っていない。次男と一緒に暮らしているのだと思う」
次男は「アパートで母親と一緒に住んでいたが、20~30年以上前、アパートからいなくなった。その後の行方は分からない」
次女は「だれがどこにいるのかも分からない。約40年前から、母親、姉、弟と連絡はとっていない」
いずれも七十代で都内に住んでいるこの三人の、親きょうだいに対するここまでの無関心には愕然とさせられます。彼等も五人家族として一つ屋根の下に暮らしていた時期があったはずで、とりわけ自分たちをこの世に産み落とし育ててくれた母親に対して、喩えなにがあろうとも、ここまで冷淡になれるというのは不可解です。
その後次々と百才以上で所在が確認できないお年寄りの存在が発覚し、それは海外でも大きく報道されて世界の人々を驚かせることになりました。
日本社会の劣化を物語るこの種の報道に接する時、私がよく思い浮かべるのは、新渡戸稲造の「武士道」序文にある一つのエピソードです。彼は次のように書いています。
「約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラブレー氏の歓待を受け、その許で数日を過ごしたが、ある日の散歩の際私どもの話題が宗教の問題に向いた。「貴方のお国の教育には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」とこの尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるやいなや、彼はうち驚いて突然歩みを止め、「宗教無しでどうして道徳教育を授けるのですか」と繰り返し言ったその声を私は容易に忘れ得ない。当時この質問は私をまごつかせた。私は此に即答できなかった。というのは私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻孔に吹き込んだものは武士道であることをようやく見いだしたのである」。
「武士道」は1900年にアメリカで英文で出版され、時の大統領テオドア・ルーズベルトが感動して知人達に贈呈するなど、アメリカやイギリスでベストセラーとなり、ヨーロッパ各国でも次々と翻訳がでて広く読まれたようです。
宗教教育は無くとも、武士階級のみならず、広く社会が共有していた「武士道」の精神は日本人の倫理観・道徳観をある時期まで堅固に支えていたと思います。
様々な物を外部から柔軟に受容し、融合し、日本人の美意識で磨いて行く、というのが日本文化の際だった特徴だと私は常々考えてきましたが、度々書いてきたように、「武士道」には将に歴史の中で育まれた様々な要素が混在しています。漢字と共に入ってきた儒教の倫理観、神道に見られる「禊ぎ」の思想、鎌倉武士たちの「名こを惜しけれ」という強烈な名誉心、禅宗の影響を受けた「自己を無にして修行を積み道を究める」という思想・・・・・。
新渡戸稲造も言うように、「武士道は、その表徴たる桜花と同じく日本の土地に固有の花」なのです。
ところが日本人が一千年以上の長きに渡って育んできたこの「日本の土地に固有の花」は、新渡戸稲造が「武士道」を出版してから百年余りしかたっていないのに、今の日本社会で影を潜め、日本は社会が共有する倫理観や道徳観を失ってしまったようです。それは私が「日本の蘇生」を書くに至った危機感の一つであり、ド・ラブレー教授の
「宗教無しでどうして道徳教育を授けるのですか」
という言葉は一層切実に私共に問題を提起しているように思います。
新渡戸稲造も書いているように、武士道とは学校で教わるものではなく、教科書があるわけでもなく、社会や家庭で伝承され、以心伝心教えられてきた規範であったわけですが、現代日本の社会や家庭にそのようなことを期待することはできそうにもありません。だとすれば、私どもが僅かに期待を託せるのは日本で最低九年間は通うことが義務づけられている「教育」ということになります。
私は「日本の蘇生」の中で、津田桃子という一教師に託して私の理想の教育論を語ってみましたが、その中の主な主張の一つが「和の空間が子供たちを変える」というものでした。日本の子供や若者たちが日本的美の一つの結晶である和室を知らないで育つのは誠に残念なことです。せめて公立の中高に和室を作り、そこで正座をさせ、日本的礼法や敬語の使い方を教え、習字をさせ、四季の移ろいに敏感な心を育み、日本や中国の古典を学ばせる、といった試みができないものでしょうか。
無論日教組に牛耳られている今の日本の教育の現状ではこんなことは夢物語に過ぎず、そして今の日本が抱える最大の問題の一つはそこにあると思います。日本人の不幸は、戦前軍部がナショナリズムを煽って悲惨な戦争に国民を駆り立てたため、「日本の文化を取り戻そう」という主張がとかく偏狭なナショナリズムや愛国心と混同されてしまう点で、本来その国の風土や歴史の中で育まれた文化を大切にし、守り伝えて行くことはナショナリズムとはなんの関係もありません。
そもそもナショナリズムというのも国民国家成立の過程で近代のヨーロッパが国民に国家意識を植え付けるために煽ったイデオロギーであり、日本が開国と共に受け入れてしまったものの一つに過ぎません。
明治維新以来の「脱亜入欧」と戦後社会の「アメリカ化」、そして経済大国への道をひた走る過程で日本が惜しげもなく捨て去ってきたもろもろの物を取り戻す時期がきているのではないだろうか。そろそろ国民は覚醒してもよいのではないだろうか。それが私の未来への微かな希望なのです。
無論自国の文化を大切にする心は、他国の文化や伝統を尊重する心に繋がります。それぞれの国にはそれぞれの土地の「固有の花」があります。それを知るためには、私が若い頃滞在したヨーロッパはうってつけの場所でした。空の色も空気も山河などの自然の佇まいも建築様式も美術館の芸術もファッションも料理も、国境一つ超えればがらりと変わるのが私にとってヨーロッパの魅力の一つでした。ファッションの色彩一つとってもパリとミラノでは違う赤、違う青であり、それぞれの国の風土や文化とどこかで繋がっているようでした。私がフランスから帰国して数年後にファッションの仕事に携わるようになったのも、芸術と生活が深く関わっていることに気づいて、そこに文化というものの奥深さを感じたからでした。
世界中のどの海よりも多様な種を育む豊潤な海に囲まれた緑豊かなこの列島で日本人はあらゆるものに神の存在を感じ、自然と調和し、四季の移ろいへの感性を磨きながら歴史を刻んできました。その列島に育まれた類い希な美の世界と人々の凛とした佇まいを多くの日本人が、とりわけ若い人たちが共有してくれればと思います。
それはまた海外の人々とのコミュニケーション能力も育むことになることでしょう。