<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>日本の蘇生 &#187; 趣味のコーナー</title>
	<atom:link href="http://www.nihonno-sosei.com/blog/category/avocation/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.nihonno-sosei.com</link>
	<description>歴史を見つめ　未来を考える　一市民としてこれ以上日本が壊れて行くのを見過ごすことはできない</description>
	<lastBuildDate>Mon, 30 Aug 2010 01:45:11 +0000</lastBuildDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.8.4</generator>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
			<item>
		<title>晩夏の庭で</title>
		<link>http://www.nihonno-sosei.com/blog/279</link>
		<comments>http://www.nihonno-sosei.com/blog/279#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 04:26:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[趣味のコーナー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nihonno-sosei.com/?p=279</guid>
		<description><![CDATA[&#8195;数日前、草むしりをしていた夕暮れ時、今年初めてツクツク法師が鳴くのを聞いた。
&#8195;同じ日の夜、鈴虫たちが一斉にリンリンと鳴き始めた。梅雨明けと共に始まった長く暑い夏だが秋は静かに忍び寄ってきているよう [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&emsp;数日前、草むしりをしていた夕暮れ時、今年初めてツクツク法師が鳴くのを聞いた。<br />
&emsp;同じ日の夜、鈴虫たちが一斉にリンリンと鳴き始めた。梅雨明けと共に始まった長く暑い夏だが秋は静かに忍び寄ってきているようだった。<br />
&emsp;以前は汗まみれになり蚊に刺されながらの夏の草むしりが苦手だった。グングンと伸びる雑草の生命力が恨めしかった。<br />
&emsp;でも今、日が少し傾いた頃庭に出て草をむしり始めると不思議に心が落ち着く。朝からひっきりなしに鳴いていたニイニイゼミにアブラゼミが唱和し、そこにツクツク法師まで加わって、私は文字通り蝉しぐれに包まれる。<br />
&emsp;長く地中に留まり、ようやく地上に這い出てきたのに１週間から１０日という短い時間しか与えられていない蝉たちの必死の鳴き声には生の輝かしさと儚さの両方が感じられて私の心の琴線に触れてくる。そしてしみじみと「この世は神の御技に満ちている」と思う。<br />
&emsp;雄はもちろん雌を求めて鳴いているのだが、交尾が終わった雌が枯れ木などに産み付けた卵は翌年の梅雨時に孵化して白く半透明の幼虫が生まれる。幼虫は最初の脱皮を終えると地上には留まらず、前脚で木の根に添って穴を掘り、地中に潜り込んで、そのまま６年－８年ほどを過ごす。その間木の根から養分を吸いながら何回かの脱皮を繰り返し、やがて地上に這い出てきて間もなくその生を終えてしまうのだか、私が不思議でならないのは例えば、地中に居た間に幼虫の目は退化してしまうのに、地上で殻を破って出てきた成虫は立派な複眼を備えていることだ。この非常に進化した複雑な構造を持つ眼は、蝉たちが夏の輝かしい太陽のもとで樹液を吸い、敵から身を守り、交尾し、雌は卵を産み、生を終えるほんの束の間の為だけに与えられているのである。</p>
<p>&emsp;小学生の頃、「ファーブル昆虫記」を読んで、フンコロガシや狩りバチなど虫たちの不思議な世界に魅せられたものだが、それらの昆虫たちをどこか遠くにいる特殊な虫たちのように思い込んでいたふしがあった。でも身の回りにいるごくありふれた昆虫たちも、次世代へ命を繋ぐ為の驚くべき本能や機能を備えている。</p>
<p>&emsp;大分前、ある番組でクリスマス島のカニのことを知った。熱帯雨林に生息するこのカニたちは雨期になると一斉に森を出て遠く離れた海岸まで何日もかけて移動する。雄は海岸の近くの林で穴を掘って後から来る雌を待ち、交尾を終えると森に戻って行く。雌はこの穴の中で産卵し、大潮の日に満潮を待って卵からかえった幼いカニたちを海に放出する。２５日ほどしてもとの海岸に戻ってきた、何回か脱皮して１㎝ほどに成長した子ガニたちは「まるで意思を持っているかのように」一斉に森を目指す、というものだった。１ヶ月近くも海で命を育まれた子ガニたちが、一斉に海を離れ、森を目指して大行進を始めるというその不思議な行動に衝撃を受けたのだが、地上に生まれ出たばかりの蝉の幼虫たちが迷わず前脚で穴を掘って地中に潜り込むのも、考えてみれば、クリスマス島のカニたちに劣らない神秘的な行動ではないだろうか。</p>
<p>&emsp;あらゆる生命体はその子孫を残すために進化を重ね、生まれながらに人知の遠く及ばぬ不思議な力を備えている。<br />
&emsp;それは植物の世界でも同じなのではないだろうか。<br />
&emsp;このホームページのイメージツリーである我が家の楠はこの季節、若木たちに囲まれている。その姿には一族を統べる長老のような威厳が感じられ、私は毎年この老木の持つ生命力に圧倒される。<br />
&emsp;３月に入って芽を出しグングンと伸びる若木たちは入梅前に一旦植木屋さんによって刈り取られるが、その後また成長して今では高さ1m－1m20㎝ほどにもなって豊かに葉を茂らせている。その萌葱色の若葉をちぎって樟脳の芳しい香りを吸い込むといつも幸福感に満たされる。<br />
&emsp;もしほっておけば、庭はたちまち楠の林になってしまうことだろう。そしてそれは樹齢３００年以上と言われるこの楠の、子孫を残す為の必死の営みであろう。でもこの若木たちは毎年夏の終わりに再び植木屋さんによって伐採される。若木たちを残しておけば老木が養分を奪われて弱ってしまう、という植木屋さんの意見はもっともだし、庭が楠で埋め尽くされるのはやはり困る。それでも私は毎年心の中で呟く。<br />
「楠さん、ゴメンナサイ」</p>
<p>&emsp;我が家の庭のようなささやかな空間でも多くの命が育まれている。年を取るにつれて、その命たちへのいとおしさが増してくる。<br />
&emsp;庭を歩いていて蜘蛛の巣にひっかかったりすると思わず「蜘蛛ちゃん、ゴメンネ」と呟いてしまう。<br />
&emsp;せっかく匠の技ともいえる見事な巣を張り巡らし、じっと獲物がかかるのを待っていたのに、不注意なおばさんに滅茶苦茶にされて、蜘蛛はさぞガックリきていることだろう。</p>
<p>&emsp;このところの暑さのせいか、時々カラスが鳴くくらいで、小鳥たちの囀りが聞かれないが、数日前、久しぶりに水ガエルたちの鳴き声を聞いた。体長１０㎝ほどの小さな蛙で、涼やかな澄んだ声で鳴く。私の目ではなかなか姿は捉えられないが鳴き声を聞くのはなんとも心地よい。<br />
&emsp;２月も終わる頃、冬眠から目覚めて穴から出てきた蛙たちの気配がそこここに感じられるようになる。そして３月、交尾の時期を迎えると、何処からともなく、水ガエルたちが我が家の庭に集まってくる。主人はこの時期、蛙たちが道を歩いていたり、我が家の階段を登っていたりするのを見かけるそうだが、その数は普段の３倍ほどに増えてざっと３０匹余り。<br />
&emsp;夜更けに庭に佇んでいると、池を中心にしてあちらからもこちらからも蛙たちが密やかに鳴き交わす声が聞こえてくるが、その音色は微妙に異なっていて聞いていて飽きることがない。<br />
&emsp;そんな夜が二週間ほども続いて、ある日突然蛙たちは池に大量の卵を残して姿を消す。<br />
&emsp;命を育む水の尊さが感じられる、毎年繰り返される我が家の春の風物詩である。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.nihonno-sosei.com/blog/279/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>私のステンドグラス</title>
		<link>http://www.nihonno-sosei.com/blog/212</link>
		<comments>http://www.nihonno-sosei.com/blog/212#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 20 Jan 2010 04:13:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[趣味のコーナー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nihonno-sosei.com/?p=212</guid>
		<description><![CDATA[　６０も半ば近くになって「趣味は木登り」などと言えば「変人」と思われるに違いない。実際私自身自分を相当変わっている、と思わぬではないが、今の私にとって、地上４，５メートル程の木の上が一番安らげる場所の一つであることは確か [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　６０も半ば近くになって「趣味は木登り」などと言えば「変人」と思われるに違いない。実際私自身自分を相当変わっている、と思わぬではないが、今の私にとって、地上４，５メートル程の木の上が一番安らげる場所の一つであることは確かである。<br />
　といっても私はなにも好きこのんで木に登る訳ではない。もともと常に自然に触れていたいという欲求が強く、若い頃は夏は伊豆の海で飽かずに朝から晩まで海に浸かり、岩場で潜って魚を追いかけ、海の様々な生き物に見とれ、時に岩壁によじ登って刻々と変わる海の色を楽しみ、日没に太陽がゆらゆらと沈んで行く時の空をうっとりと眺めた。冬はスキーの魅力に取り憑かれて、吹雪も氷点下の寒さもおかまいなくゲレンデや林の中を一日中滑っていた。<br />
　けれども目が不自由になって、私には景色というものがほとんど見えなくなってしまった。自然に触れるには身近な自然にさわって感触を確かめ、四季折々の香りを嗅ぎ、風や小鳥や虫や蛙たちが発する音に注意深く耳を傾けるしかない。</p>
<p>　私が登るのは庭の片隅に生えているもっこくの木で、ずっしりとした枝振りは安定感があり、葉は一年中密に茂って夏でも冬でも濃い影を作る。<br />
　その木の上で私は風を感じ、小鳥たちの囀りを聞き、季節の香りを吸う。<br />
　そして木の葉ごしに差し込んでくる色とりどりの光の美しさに魅了される。<br />
　見えるというよりも感じると言った方がよいかもしれない様々な色、青、赤、黄色、橙色、桃色、紫色等が私の周りに妙なるハーモニーを作り出す。それはいつも私に、フランスのゴシックの大聖堂の内部を満たしていたステンドグラスの色と光を思い出させる。<br />
　その光に包まれながら私がいつも抱くのは、地球というのは将に奇跡の星だ、という感慨である。太陽からの距離がもう少し遠くても近くても、地球に生命は誕生しなかっただろう。かくも多くの命を育んでいる、多分広大な宇宙に二つとはないかもしれない愛おしい星・・・。<br />
　遙か彼方の燃えさかる太陽から降り注ぐ光がかくも美しいのは、神の恩寵なのであろうか。<br />
　普段は全く宗教とは無縁の私が木の上では奇妙に「ある絶対的なものの存在」を感じてしまう。<br />
　もしかしたらステンドグラスの作者たちも、森の中で天から降り注ぐ光の美しさに神の恩寵を感じて、それを大聖堂の中に再現したいと願ったのかもしれない、などと考えたりする。</p>
<p>　留学時代、通訳のアルバイトをしていた私はある時、日本のステンドグラス作家の女性を案内してシャルトルを訪れ、カテドラルを見学した後、その裏手にあるステンドグラスの工房にお供したことがあった。その時の彼女の語ったことが印象に残った。<br />
「現代の科学技術をもってしても、シャルトルのステンドグラスの色彩を再現することは不可能なんですよ。彼等がどうやってあのような色を出せたのか分からない」</p>
<p>　パリにはローマ時代から現代に至るまでのあらゆる様式の建築があり、それ等が見事に調和して類い希な美しさを誇っているが、私にとってはノートルダムの大聖堂に優る建造物はなかった。その冒しがたい荘重な美しさと存在感は私を圧倒した。よく中世は暗黒の時代などといわれる。確かに科学技術に関してはそうであったかもしれないが、芸術に関しては、神という絶対的な存在をひたすら信じる者のみが到達し得る「高み」があるのではないだろうか。パリの街を歩きまわり、様々な角度からノートルダム寺院を眺めながらよくそんなことを考えた。</p>
<p>　今の私にとって自然との一体感を感じられる場所。この穏やかな気候の、四季の移り変わりが繊細な日本に生まれてきて良かったと感じられる場所。</p>
<p>　だから私は寒い冬の日にも朝のひとときをもっこくの木の上で過ごす。<br />
　メジロや鵯や四十雀たちが鋭く囀って辺りの静寂を破り、野良猫たちが早くも雌を求めて鳴く。そのうちに梅の蕾が綻んで芳香が漂ってくることだろう。<br />
　私のささやかなステンドグラスの光に包まれながらいつも思う。世界は美しい。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.nihonno-sosei.com/blog/212/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
