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	<title>日本の蘇生 &#187; 歴史・文化・政治のコーナー</title>
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	<description>歴史を見つめ　未来を考える　一市民としてこれ以上日本が壊れて行くのを見過ごすことはできない</description>
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		<title>命が軽んじられる社会</title>
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		<pubDate>Fri, 13 Aug 2010 01:25:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　このところ今の日本社会で倫理・道徳が益々廃れ、人心が荒廃していることをひしひしと感ぜざるを得ない出来事が続いて、暗澹たる気持ちになります。
　親殺し、子殺しがこれほど頻発する社会が他にあるだろうか、と私は常々思っている [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　このところ今の日本社会で倫理・道徳が益々廃れ、人心が荒廃していることをひしひしと感ぜざるを得ない出来事が続いて、暗澹たる気持ちになります。<br />
　親殺し、子殺しがこれほど頻発する社会が他にあるだろうか、と私は常々思っているのですが、今回大阪のマンションで１才と３才の幼子二人の遺体が発見されたというニュースは、余りの痛ましさに、子供を産み育てた者の一人として慟哭を禁じ得ませんでした。<br />
　本来ならば何にかえても守ってやらねばならない、親以外に頼る術のない幼い我が子をアパートに残して内側からは開けられないようにして家を出、「一週間後に、子供たちは死んでいるかもしれないと思ったが助けてやろうという気持ちにならなかった」という母親の証言には戦慄を覚えますが、インターフォンがはずれていて、子供たちの泣き叫ぶ声は外に漏れていたらしいのに、児童相談所に通報する以外に、この子等の命を救うために何等成し得なかった周りの大人達。そしてこれほどの事態にも中に踏み込んで子供達を救い出そうとしない児童相談所の職員達。惻隠の情　というものがすっかり影を潜めてしまったこの社会が助けを呼ぶ幼子の命を見殺しにしてしまったと感じました。<br />
　もちろん私の身近で同じようなことが起こった時、私もなにもできないかもしれません。でもできることなら、子供たちの命を救う為に力を尽くしたい。喩え住居侵入罪に問われようともあの子たちを連れ出し、お風呂に入れて美味しい食事を食べさせて、抱きしめてやりたかった、などと思いました。<br />
　無論親が子を殺す、というおよそ他の動物には見られないことが日常茶飯事的に起こっている今の日本で、このような個人のセンチメンタリズムは何等問題の解決にはならないのですが。</p>
<p>　この悲しいニュースの数日後、今度は家族崩壊の行き着く果てを私どもは見せつけられる事になりました。都内最高齢の百十三才の女性の所在が不明になっており、一緒に住んでいるとされていた長女は「母親とはもう二十年以上会っていない。次男と一緒に暮らしているのだと思う」<br />
　次男は「アパートで母親と一緒に住んでいたが、２０～３０年以上前、アパートからいなくなった。その後の行方は分からない」<br />
　次女は「だれがどこにいるのかも分からない。約４０年前から、母親、姉、弟と連絡はとっていない」<br />
　いずれも七十代で都内に住んでいるこの三人の、親きょうだいに対するここまでの無関心には愕然とさせられます。彼等も五人家族として一つ屋根の下に暮らしていた時期があったはずで、とりわけ自分たちをこの世に産み落とし育ててくれた母親に対して、喩えなにがあろうとも、ここまで冷淡になれるというのは不可解です。<br />
　その後次々と百才以上で所在が確認できないお年寄りの存在が発覚し、それは海外でも大きく報道されて世界の人々を驚かせることになりました。</p>
<p>　日本社会の劣化を物語るこの種の報道に接する時、私がよく思い浮かべるのは、新渡戸稲造の「武士道」序文にある一つのエピソードです。彼は次のように書いています。<br />
「約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラブレー氏の歓待を受け、その許で数日を過ごしたが、ある日の散歩の際私どもの話題が宗教の問題に向いた。「貴方のお国の教育には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」とこの尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるやいなや、彼はうち驚いて突然歩みを止め、「宗教無しでどうして道徳教育を授けるのですか」と繰り返し言ったその声を私は容易に忘れ得ない。当時この質問は私をまごつかせた。私は此に即答できなかった。というのは私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻孔に吹き込んだものは武士道であることをようやく見いだしたのである」。</p>
<p>「武士道」は１９００年にアメリカで英文で出版され、時の大統領テオドア・ルーズベルトが感動して知人達に贈呈するなど、アメリカやイギリスでベストセラーとなり、ヨーロッパ各国でも次々と翻訳がでて広く読まれたようです。<br />
　宗教教育は無くとも、武士階級のみならず、広く社会が共有していた「武士道」の精神は日本人の倫理観・道徳観をある時期まで堅固に支えていたと思います。</p>
<p>　様々な物を外部から柔軟に受容し、融合し、日本人の美意識で磨いて行く、というのが日本文化の際だった特徴だと私は常々考えてきましたが、度々書いてきたように、「武士道」には将に歴史の中で育まれた様々な要素が混在しています。漢字と共に入ってきた儒教の倫理観、神道に見られる「禊ぎ」の思想、鎌倉武士たちの「名こを惜しけれ」という強烈な名誉心、禅宗の影響を受けた「自己を無にして修行を積み道を究める」という思想・・・・・。<br />
　新渡戸稲造も言うように、「武士道は、その表徴たる桜花と同じく日本の土地に固有の花」なのです。<br />
　ところが日本人が一千年以上の長きに渡って育んできたこの「日本の土地に固有の花」は、新渡戸稲造が「武士道」を出版してから百年余りしかたっていないのに、今の日本社会で影を潜め、日本は社会が共有する倫理観や道徳観を失ってしまったようです。それは私が「日本の蘇生」を書くに至った危機感の一つであり、ド・ラブレー教授の<br />
「宗教無しでどうして道徳教育を授けるのですか」<br />
という言葉は一層切実に私共に問題を提起しているように思います。<br />
　新渡戸稲造も書いているように、武士道とは学校で教わるものではなく、教科書があるわけでもなく、社会や家庭で伝承され、以心伝心教えられてきた規範であったわけですが、現代日本の社会や家庭にそのようなことを期待することはできそうにもありません。だとすれば、私どもが僅かに期待を託せるのは日本で最低九年間は通うことが義務づけられている「教育」ということになります。<br />
　私は「日本の蘇生」の中で、津田桃子という一教師に託して私の理想の教育論を語ってみましたが、その中の主な主張の一つが「和の空間が子供たちを変える」というものでした。日本の子供や若者たちが日本的美の一つの結晶である和室を知らないで育つのは誠に残念なことです。せめて公立の中高に和室を作り、そこで正座をさせ、日本的礼法や敬語の使い方を教え、習字をさせ、四季の移ろいに敏感な心を育み、日本や中国の古典を学ばせる、といった試みができないものでしょうか。<br />
　無論日教組に牛耳られている今の日本の教育の現状ではこんなことは夢物語に過ぎず、そして今の日本が抱える最大の問題の一つはそこにあると思います。日本人の不幸は、戦前軍部がナショナリズムを煽って悲惨な戦争に国民を駆り立てたため、「日本の文化を取り戻そう」という主張がとかく偏狭なナショナリズムや愛国心と混同されてしまう点で、本来その国の風土や歴史の中で育まれた文化を大切にし、守り伝えて行くことはナショナリズムとはなんの関係もありません。<br />
　そもそもナショナリズムというのも国民国家成立の過程で近代のヨーロッパが国民に国家意識を植え付けるために煽ったイデオロギーであり、日本が開国と共に受け入れてしまったものの一つに過ぎません。<br />
　明治維新以来の「脱亜入欧」と戦後社会の「アメリカ化」、そして経済大国への道をひた走る過程で日本が惜しげもなく捨て去ってきたもろもろの物を取り戻す時期がきているのではないだろうか。そろそろ国民は覚醒してもよいのではないだろうか。それが私の未来への微かな希望なのです。</p>
<p>　無論自国の文化を大切にする心は、他国の文化や伝統を尊重する心に繋がります。それぞれの国にはそれぞれの土地の「固有の花」があります。それを知るためには、私が若い頃滞在したヨーロッパはうってつけの場所でした。空の色も空気も山河などの自然の佇まいも建築様式も美術館の芸術もファッションも料理も、国境一つ超えればがらりと変わるのが私にとってヨーロッパの魅力の一つでした。ファッションの色彩一つとってもパリとミラノでは違う赤、違う青であり、それぞれの国の風土や文化とどこかで繋がっているようでした。私がフランスから帰国して数年後にファッションの仕事に携わるようになったのも、芸術と生活が深く関わっていることに気づいて、そこに文化というものの奥深さを感じたからでした。</p>
<p>　世界中のどの海よりも多様な種を育む豊潤な海に囲まれた緑豊かなこの列島で日本人はあらゆるものに神の存在を感じ、自然と調和し、四季の移ろいへの感性を磨きながら歴史を刻んできました。その列島に育まれた類い希な美の世界と人々の凛とした佇まいを多くの日本人が、とりわけ若い人たちが共有してくれればと思います。<br />
　それはまた海外の人々とのコミュニケーション能力も育むことになることでしょう。</p>
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		<title>消費税についてーフランスとオランダの場合</title>
		<link>http://www.nihonno-sosei.com/blog/257</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Jul 2010 04:17:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　鳩山政権の発足から瓦解に至るまでの８ヶ月間、日本の政治の著しい劣化と共に日々感じていたのは日本社会の無気力化でした。有史以来一度も外国からの支配を受けることのなかったこの国は、敗戦から６５年経っていよいよ本格的に宗主国 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　鳩山政権の発足から瓦解に至るまでの８ヶ月間、日本の政治の著しい劣化と共に日々感じていたのは日本社会の無気力化でした。有史以来一度も外国からの支配を受けることのなかったこの国は、敗戦から６５年経っていよいよ本格的に宗主国におもねる植民地根性の染みついた卑しげな国になってしまった、という思いを噛みしめる毎日でした。<br />
　独立国としての自立・自尊の精神を失ってまで安全保障をアメリカに丸投げしてきたことの歪みを私はこの国の様々な面で感じてしまうのですが、とりわけ自主外交の放棄によって生じた停滞は今、この世界史の大転換期にあって日本の戦後体制からの脱却を阻んでいるように見えます。</p>
<p>　言うまでもなく、安全保障とは、軍事だけでなく、外交力、情報力（諜報も含む）、そしてなによりも国民から信頼される政治のリーダーシップに基づいたしたたかで柔軟な政治力が求められる分野ですが、戦後政治家や官僚、大部分のマスコミがアメリカの顔色ばかり窺っていたこの国では、それらは劣化の一途を辿って今や全くの機能不全に陥っており、戦後の日米安保体制の負の側面を見る思いです。<br />
　さてこの文章は、対ロシア外交を中心に、日本のこれからの外交の在り方について考えてみたいと思って書き始めたのですが、管総理が消費税率１０％を打ち出したことによって７月１１日の参院選の争点の一つとなった消費税についての議論が本質から大きくそれているように見えるのが気になるので、今回はそこに絞って書いてみます。</p>
<p>　参院選を前にして野党は「増税は庶民の生活を直撃する」「人々の生活を破壊する増税は許さない」とあえて扇情的に人々の怒りを煽っていますが、私の知る限り、消費税の先進国ヨーロッパでは生活必需品に関しては税率を低く抑えるのが原則であり、景気の面からはともかく、庶民の生活に直接影響が及ぶようなことはあまりないと思います。<br />
　私は１９６８年－６９年と１９７６年－８１年と二度フランスでの生活を体験しています。その頃既に消費税率は１９％以上、物によっては２０％を超えていたと思いますが、ＴＶＡ（la taxe a valeur ajoutee）付加価値税を意識するのはたまにサン・トノレなどの高級ショッピング街でブランド品を買う時くらいで、近所の市場や八百屋やスーパーで買い物をしている限りＴＶＡの高い税率を気にすることはありませんでした。<br />
　１９５４年にフランスで初めて導入されたという付加価値税は各国で福祉や年金に充てられることが多く、国民全体が負担を強いられる分導入に慎重を期するのは分かりますが、今後消費税率を引き上げるのであれば、庶民の生活を破壊しないようなしっかりとした制度設計を行うことが大事なのだと思います。<br />
　割引税率の適用は各国によって微妙に異なり、それぞれの国柄や価値観を反映するものになっています、例えばフランスでは国内の消費税率は１９.６％ですが下記の物には割引税率５.５％、一部は２.１％が適用されています。</p>
<p>＜５.５％＞</p>
<p>飲料水・飲料（アルコール飲料を除く）<br />
食品（砂糖菓子、チョコレート、マーガリン、植物性油脂、キャビアを除く）<br />
暖房用の木材<br />
家畜用の飼料、農業用の肥料・ミネラル類<br />
書籍<br />
医薬品・医療器具・機器<br />
公的住宅のための敷地、建設工事、補修工事<br />
老人ホーム内のサービス・介護サービス<br />
上下水道サービス、ゴミ回収サービス<br />
電気、ガスの利用料<br />
劇場、コンサート会場、サーカス、映画館、移動遊園地、動物園、美術館、史跡などの入場料（ただし、成人指定作品を扱う場合を除く）<br />
公共交通機関、衛星放送・ケーブルテレビなどの受信料<br />
弁護士・代訴人の費用</p>
<p>＜２.１％＞</p>
<p>演劇・音楽・舞踏・サーカスなどの初演（成人指定作品を除く）<br />
家畜の販売<br />
司法サービス<br />
医療行為、一部の医薬品<br />
日刊紙<br />
  （メールマガジン　フランスの片隅から　を参考にさせていただきました。）</p>
<p>　巨大な財政赤字を抱え、人々が年金への不信感や老後への不安を募らせて未加入者が増えている現状で年金崩壊を防ぐためにも、消費税を上げるのが間違った方向とは思えませんが、ただ総理たるもの、そのことを党のマニフェストに掲げるのであれば、自身がその政策への揺るぎない信念を持ち叉制度設計のための基本的な方向性を確立しておいていただきたいものです。野党からの攻撃や支持率の低下にうろたえて、「今すぐに上げるとは言ってない」とすぐに腰が引け、「食料品への戻し減税を行う」という愚の骨頂のばらまきを口にするのは情けない。何故日本の政治家や官僚たちは、確固とした考え方に基づいた堅牢な政策を構築できないのでしょうか。</p>
<p>　何を割り引き税率の対象にするかは先にも書いたように各国のそれぞれの考え方を反映していますが、下記に掲げるのはオランダ在住の友人が調べてくれたオランダの割引き税率のリストです。</p>
<p>　オランダの消費税率は１９％。　但し下記の物は６％</p>
<p>１．飲食品一般（アルコールを除く）<br />
２．農作物<br />
３．医薬品<br />
４．視覚障害者関係の品物<br />
５．交通機関<br />
６．本・雑誌<br />
７．キャンプ場・バカンスハウス<br />
８．芸術家による上演・演奏<br />
９．Museum／コンサート／スポーツの試合の入場<br />
１０．床屋・美容院<br />
１１．服・くつ・自転車の修理<br />
１２．15年以上の家のペンキ塗り、漆喰塗り</p>
<p>　両国とも食料、飲料、医薬品、交通機関、書籍などと共に、広く芸術や文化に関する活動やチケット代が割引税率の対象になっているのは、文化を大切にするヨーロッパ共通の精神を感じます。私も学生時代頻繁にコンサートや美術館などに通いましたが、学生用のチケットは驚くほど安く、また各ミュージアムは日曜日は無料で、超一流の芸術を実に安価に享受することができました。<br />
　オランダの、キャンプ場・バカンスハウスや１５年以上の家のペンキ塗り、漆喰塗りは、バカンスを過ごすのに別荘も無く、ホテルにも滞在できない人々、あるいは家のペンキ塗りなどを他に頼む余裕などない人々への配慮が感じられます。<br />
　戻し減税というお金のかかるやり方で、しかも対象となる人の年収額でふらつくより、日本は日本らしい制度設計をしていただきたいと思います。<br />
　例えば子育て支援をしたいのであれば、粉ミルクや紙おむつや保育所の費用を。<br />
　高齢者に手厚くしたいのであれば、フランスのように老人ホーム内のサービス・介護サービス等を。<br />
　なるべく多くの人々に日本の文化芸術に触れてもらいたい、と思うなら、歌舞伎や文楽や能のチケット代を。<br />
　その他色々な観点から、今の５％に抑えるか、あるいは税率を引き下げる品目をリストアップしていただきたいと思います。<br />
　一方で、余裕のある人々には贅沢品を買う折り、少し高めの消費税を負担していただく。そういう意味での納税者の社会に対する責任感も大事だと思いますが、その為には政治や行政への信頼感が不可欠で、そういう意味ではまだ日本にはヨーロッパ並みの高い消費税率を導入する準備はできていないのかもしれません。</p>
<p>　国のトップが一年も持たずに次々と交代してゆくなど、およそ世界の先進国といわれている国にはないことで、それも日本人が自国の真の統治者たり得ていない証のようにも見えるのですが、このようなことを繰り返せば激しく変貌する新世界秩序の中で沈んで行くしかありません。管内閣にどこまで期待できるのか、実は私もぐらついているのですが、学生時代は学生運動に明け暮れ、市川房枝という、平塚雷鳥と共に日本の婦人解放運動を引っ張った筋金入りの市民運動家と行動を共にし、自らも市民運動によって支えられてきた、と自負する管総理は確かにこれまでの総理とは異質であり、ぶれずに信念に基づいた政治を行ってほしいと願うしかありません。<br />
　管総理はその所信表明演説の中で、現実主義の立場から１９６０－８０年代論壇で中心的役割を果たした国際政治学者で東工大名誉教授の永井陽之助氏のことに触れていました。色々調べていたら、私がよくチェックする中田安彦氏の「ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報」の２００９年３月１９日のページで、東工大での永井氏の数人の教え子たちを中心に様々な角度から永井陽之助を語るページを紹介していました。<br />
　「美しい理想」と「醜い平和」ならば、「醜い平和」を取るべきだ、と説く「平和の代償」という名著を遺した永井氏は、その「政治的リアリズム」の観点から軽武装・経済重視の吉田ドクトリンを高く評価し、「日米安保」を冷戦下の日本の現実的な選択、と考えたようです。<br />
　私は前回の「覇権国アメリカの謀略とダブルスタンダード」で<br />
「評論家や学者たちはこのような事実を直視し、日本とアメリカは価値観を共有している、といった美辞麗句は慎み、『アメリカの戦争は残虐非道で、テロとの戦いで犠牲になる人々の人権は確かに無視されている。しかしそれでも国を守るために日米安保は堅持すべきである』と言って頂きたい」と書きましたが、そういう意味では永井陽之助氏の「日米安保という苦い選択」は日米安保を歯の浮くような美辞麗句で飾り立てる御用学者たちよりは信用できるように思います。<br />
　永井氏を様々な角度から語るこのページに次のような書き込みがありました。<br />
　<br />
　「最近、とんとご無沙汰の永井陽之助先生。90年代になって以来、マスコミへの露出度ほとんどゼロ。<br />
先日、国連大使の北岡伸一先生と会食した際、「永井先生は最近どうしておられるんですか」と聞いたら<br />
「90年代半ばに急速に『反米』に傾斜して以来、誰からも相手にされなくなった」との お話。しばし絶句」</p>
<p>　２００５年あたりから「日本の蘇生」を書くために色々と調べ初めて、冷戦終結後のアメリカの「日本潰し」が如何に長期的な戦略に基づいた巧妙なものであったかに気づき、そのため本の内容も大幅に変更せざるを得なかったのですが、永井陽之助が９０年代半ばから何故反米に傾斜していったのか。そのいきさつを語ることなく２００８年１２月に世を去ったのは残念です。<br />
　管総理が日米安保重視を唱えつつ、アメリカへの警戒心を解かず、一方で１０年後、２０年後の新たな世界秩序に於ける日本の飛躍を準備する。せめてその目線だけは持っていて頂きたいと念じます。</p>
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		<title>覇権国アメリカの謀略とダブルスタンダード</title>
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		<pubDate>Thu, 03 Jun 2010 05:04:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　５月２８日、普天間基地移設問題で、移設先を米軍キャンプ・シュワブがある「沖縄県名護市辺野古」とすることを明記した日米の共同文書が発表されました。
　普天間基地の移設先について、「できたら国外、最低でも県外」という鳩山首 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　５月２８日、普天間基地移設問題で、移設先を米軍キャンプ・シュワブがある「沖縄県名護市辺野古」とすることを明記した日米の共同文書が発表されました。<br />
　普天間基地の移設先について、「できたら国外、最低でも県外」という鳩山首相の掲げた公約に、僅かながら未来への希望を感じていた沖縄の方たちの失望感と怒りは想像に余りあるものがあります。<br />
　そして「戦後日本の安全と平和は日米安保によって守られてきた。アメリカに見放されたら大変なことになる」と考える人にとっても、「日本は独自に強い軍事力を持つべきで、核兵器も排除すべきではない」と考える人にとっても、あるいは、「日本は憲法を改正して、アメリカと共に戦えるようにすべきだ」と考える人にとっても、そして少数派ながら「日本は、ＥＵが世界に先駆けて確立し、中東、アフリカ、中南米でも構想されつつある、多国間の安全保障の枠組みの構築に努め、国連の機能を改革・強化して、大国が戦争を起こしにくくする世界の協調体制を作るように努力すべき」と考える私のような者にとっても、考え方の違いを超えて「呆れてものが言えない」結末であったと思います。<br />
  鳩山政権のこの迷走劇で唯一よいことがあったとすれば、日本の安全保障の在り方や沖縄の置かれている現状等について人々が少しは考えるきっかけとなったことではないでしょうか。</p>
<p>　昨年、組閣直前に発表された「私の政治哲学」の中で、<br />
　「日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづける」<br />
としながらも、「アメリカ一極時代の終焉」を予感し、「ドル基軸通貨体制の永続性への懸念」を表明する一方で、東アジア共同体については、<br />
「地域的な通貨統合、『アジア共通通貨』の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない」としていた鳩山総理。<br />
　そして、民主党のマニフェストには、</p>
<p>「日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」とし、<br />
「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」<br />
と書かれていました。　</p>
<p>「日米安保」という対等ではあり得ない、そして冷戦後は中国という、本来は共に手を携えて東アジア共同体の構築に向けて力を合わせ、また互いに経済成長の力強いパートナーであるべき国を仮想敵国とした二国間の軍事同盟に縛られ、世界に他に例のない、治外法権の米軍基地をこれだけ抱えている日本はアメリカの属国であり、この状態に甘んじている限り日本に輝かしい未来はない」と考え続けてきた私にとって、それは未来志向の日本の方向性を示しており、鳩山政権に期待する気持ちになっていました。<br />
　ところが鳩山総理に精彩が感じられたのは政権発足後ほんの数週間。誰かに脅されてでもいるのか。もの凄い圧力をかけられているのか。ひたすらアメリカに平身低頭し、態度は卑屈で目はうつろ。<br />
　核安全保障サミットでは正式の首脳会談は行われず、夕食会でオバマ大統領にすり寄る姿が全米に放映され、ワシントンポスト紙から「loopy　愚か者」と嘲笑される情けなさで、日本国民としてやりきれぬ日々でした。</p>
<p>　対等な日米同盟関係など１００年早い、とアメリカにすごまれ、追いつめられ、もろくも自分の信念と言葉を裏切った鳩山総理の姿を見れば、私の願う「どこの国にも従属しない尊厳ある国のかたち」を希求する政治家はもう当分現れそうにもありません。後はただ世界の大きな歴史の流れの中でいくら目を塞いでいても分かるほどに国際情勢が変化し、「すり込み」が解けて日本人がもう少し国柄を大切にするようになれば、自ずから日本にも変化の兆しが現れて来るであろうことをじっと我慢しながら待つしかなさそうです。</p>
<p>　ところでビル・トッテン氏をご存知でしょうか。アメリカカリフォルニアで生まれ、カリフォルニア州立大学を出、１９６３年にアポロ計画で有名な ロックウェル社に入社。その後アメリカ大手ソフトウェア会社に移り、１９６９年に初来日して日本に魅せられ、１９７２年に日本でパッケージ・ソフトウェア販売会社「アシスト」を設立。現在社員８００人余りの会社に育て上げる傍ら、市場原理主義に冒されて変質してゆくアメリカ社会を嘆き、そのアメリカに支配される日本を憂うる１０冊ほどの著作を発表し、またour world というコラムを書き続けていますが、その論旨は明晰で、人生哲学や経営理念はまっとうそのもの。私にとって「古き良きアメリカ人」の一典型といえる人です。<br />
　２０１０年４月１９日の「日本に訪れた素晴らしい好機」というタイトルのコラムでも冒頭</p>
<p>「日本の政治家がアメリカの言いなりになる姿を目にするにつけ、アメリカ国籍を棄て、日本国籍を取得した者としてやりきれない気持ちになる。敗戦による占領が終わり50年以上経つのに、いまだに宗主国の指示のもとでしか動けない日本のリーダーたちの姿は、同じようにイギリスから支配をうけたインドのようだ」。と書き、<br />
「日本のサムライ階級が茶の湯に親しみ、花を活け、隠遁的芸事に勤しんでいるとき、ヨーロッパ人は貿易、征服、戦争、植民地化といった本当の意味の帝国の建設を目指して東西南北に広がっていたのである。<br />
　そんな日本を変えたのは、戦後、その精神の根底にあった 古神道、仏教、儒教、武士道 などを一掃させる教育制度だったことはいうまでもないだろう。アメリカは、インドと同じく外見は日本人だが中身をアメリカ人に作り変えることにみごとに成功した。<br />
　そう考えると、宗主国アメリカの没落は日本に訪れた素晴らしいチャンスのときである。失われた10年、20年を嘆くのではなく、それ以前の（もちろん明治時代の国家神道以前の）、日本の素晴らしい伝統文化、価値観を取り戻すのにこれほどふさわしい時はない」。<br />
と締めくくっています。将に　我が意を得たり　の内容で、私にとってはとりわけ（もちろん明治時代の国家神道以前の）という一文にトッテン氏の日本を見る目の確かさを感じます。そのトッテン氏が今年２月２２日に「日米安全保障条約」というタイトルで書いています。<br />
「沖縄の人だけでなく、私たち日本国民全員が「自分のこととして」この問題を考えた時、根本的な問題は基地移転ではなく、1951年、敗戦国である日本がアメリカと結び、1960年に改定された日米安全保障条約にあると思う」と述べ、<br />
 「 鳩山政権が公約の「対等な日米関係」を実践しようとしているなら、ぜひ安保条約を読んで欲しい」。と訴えています。<br />
　さて不勉強ながら初めて読む日米安保条約の第一条。</p>
<p>「締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」</p>
<p>　ここに響き渡る理想主義は国連憲章や日本の憲法第九条の精神と全く同質のもので、おそらくこのような理念に基づいた戦後世界の新秩序を夢見たアメリカ人たちは政権内部にも確かにいたのだと思います。もし日米安全保障条約が微かにでもこのような精神を反映したものであるなら、私とてこれほどこの軍事同盟に危機感は持たないと思います。しかし現実はおよそ、この第一条の理想主義とはかけ離れています。トッテン氏も、</p>
<p>「いつアメリカが国際紛争を平和的に解決しようとしたのか。ベトナムやイラク戦争をみるといい。またグレナダ、ニカラグア、ユーゴスラビア、そしてアフガニスタンでアメリカは何をしたのか。アメリカがこの条約の通りに振る舞い、武力による威嚇や行使を1960年からしていなければ、今頃世界はずっと平和で安全な場所になっていただろう」。<br />
と書いています。</p>
<p>　普天間移設問題などを考える時、日本の大手マスコミがアメリカが戦後行ってきた戦争や謀略の実態などに触れることはまずありません。<br />
 <br />
　４月２９日にＮＨＫ第一で午前中「双方向解説　そこが知りたい　普天間そして日米同盟の行方は」という番組をやっていましたが、出演していた学者や評論家たちは中国や北朝鮮の脅威を強調し、危機感を煽る一方で、アメリカを「日本と自由や民主主義や人権などの価値観を共有する国」「アメリカの目指しているのは世界の平和と安定」とし、素直にこの番組を見れば大多数の人が「軍拡に走る中国への抑止力としてアメリカ軍の日本駐留はやむを得ない。日米同盟は堅持すべきだ」と思わせるような流れになっていました。<br />
　日本の安全保障については憲法９条のことも含めて論じ始めれば余りに長くなりそうなので、ここでは戦後イギリスから覇権を引き継いだアメリカの行ってきた数々の戦争や軍事行動は果たして「世界の平和と安定のため」だったのか。アメリカが常に大義名分として掲げる自由や民主主義や人権はダブルスタンダードではないのか、という点を考えてみたいと思います。</p>
<p>「多極化とはなんなのか」というタイトルのブログの冒頭で私は１９７３年、アメリカＣＩＡが画策した軍事クーデターによって、民主的に選ばれ国民の圧倒的な支持を得ていたチリのアジェンダ政権が倒されたこと、そしてアメリカが権力の座に押し上げ軍事独裁政権を樹立したピノチェトが推し進めた経済政策が、いわゆる市場原理主義（ネオリベラリズム）経済の最も初期の例だったと言われている、ということを書きましたが、民主主義を標榜するアメリカが国民の支持を得て選挙によって選ばれた政権を倒したのはもちろんチリだけではありません。中南米で成立した多くの軍事独裁政権の裏にＣＩＡとアメリカ政府の関与があった、ということがよく指摘されますが、ここではアメリカとイラン、イラクの関係を簡単に書いておきます。そこに見事なまでの、ガンジーの所謂「Ｐｏｌｉｔｉｑｕｅｓ　ｗｉｔｈｏｕｔ　ｐｒｉｎｃｉｐａｌeｓ」というアメリカ政治の本質が見えてきます。<br />
　戦後のイランは親英的なパーレビー朝のレザー・シャーの下、立憲君主制を布いていましたが、１９５１年民族主義者のモサデクがイギリスが所有する石油会社の国有化を主張して議会によって首相に選ばれるとイギリスなどが厳しい経済制裁を行って圧力をかけますがモサデクは国有化を続行。その後の選挙で圧勝し、シャーは国外に亡命。しかしアメリカＣＩＡの画策によってシャーは亡命先から呼び戻されて復権し、モサデクは首相の座を追われて逮捕され、以降イランはアメリカに支えられたレザー・シャーの君主独裁のかたちとなってゆき、アメリカはイギリスと共にイランの莫大な石油利権を手中に収めます。<br />
　２００９年６月４日、中東訪問中だったオバマ大統領はエジプトのカイロで行った演説の中で、<br />
「冷戦中、民主的に選出されたイラン政権の転覆に米政府が関わっていた」と述べて、アメリカ大統領として初めてこの事実を認めました。<br />
　その後１９７９年のイスラム革命によって国王が失脚すると、同じ年にイラクの大統領となって権力を掌握したサダム・フセインに接近して、イラン・イラク戦争（１９８０年９月ー１９８８年８月）ではフセイン政権に総額297億ドルにも及ぶ巨額の兵器供給やCIAによる情報提供を行いました。（wikiを参照）ある意味でフセインを怪物に仕立てたのはアメリカであったとも言える訳ですが、その後の湾岸戦争ではイラクがクエートに攻め込んだことを口実にイラクに侵攻。そしてイラク戦争に関してはブログ「９１１の真相とアメリカの戦争」で書いた通りです。<br />
　サダム・フセインのことを少しでも調べれば、彼が権力を掌握あるいは維持する為には暗殺、粛清も全く厭わない極めて独裁体質の強い人間であることはすぐに分かります。サダムに化学兵器を含む莫大な軍事援助を与えたアメリカが「イラク戦争を起こしたのはフセインの圧政から人々を解放してイラクを民主化するためだった」と言っても誰が信用するのでしょうか。</p>
<p>　アメリカが権力の座に据えた悪名高い人物の一人にパナマのノリエガ将軍がいます。</p>
<p>＜冷戦下において、アメリカの事実上の庇護のもとマヌエル・ノリエガ最高司令官（将軍）の軍事独裁下にあったパナマは、非民主的な政治体制が原因で中南米の中でも孤立していただけでなく、中南米における麻薬ルートの温床となっているとされていた。<br />
　なおノリエガは、冷戦下の1950年代からアメリカ中央情報局（CIA）のために働いていたことも明らかになっている。ノリエガはブッシュ大統領がCIA長官時代にその手先となり、キューバのフィデル・カストロ政権やニカラグアのサンディニスタ政権など、中南米やカリブ海の左派政権の攪乱に協力していた。＞</p>
<p>　これはノリエガに関するwiki の記述の一部ですが、「民主主義」を掲げながら、実はアメリカは他国の国民がアメリカが権力の座につけた独裁者の圧制下に置かれることに関してはなんの痛痒も感じていないようです。<br />
　「アメリカの目指すものは世界の平和と安定」と強調し、アメリカの正義を讃える評論家の先生たちはこれらの事を知った上であえて日米同盟堅持の為に目をつぶっておられるのでしょうか。中東や中南米では確かに過激なこともやったが日本に対しては誠実で信頼のおけるパートナーであった、とおっしゃりたいのでしょうか。</p>
<p>　これらのことは冷戦下で起こった古い話で、共産主義との闘いのためにはやむを得なかった、と言う人々もいるでしょう。しかし冷戦終了後のアメリカの戦争は兵器のハイテク化と相俟って益々大量の無辜の民を殺傷する残酷で非人道的なものになっています。<br />
　「９１１同時多発テロの真相とアメリカの戦争」で、２００３年のイラク開戦時から２００８年６月までのイラク人犠牲者の数は約６５万５０００人、という、アメリカのジョンズホプキンズ大学医学部のギルバート・バーンハム教授らのチームが現地で調査し、イギリスの有力医学雑誌「サンセット」に発表した数字を紹介しました。<br />
　アメリカを初めとする欧米諸国にとって「人権侵害」は彼等の価値観に反する許し難い事です。「チェチェンで、チベットで、ミャンマーで人権が侵害されている」と彼等が非難するとき、私も胸が痛みます。地球上に生きるすべての人の人権は尊重されるべきです。しかし最も著しい人権侵害は「戦争」に於いて起こるのです。アメリカにとって、イラクやアフガニスタンの人々は人権はおろか無差別に命を奪っても一向にかまわない存在なのでしょうか。</p>
<p>　イラク開戦時、小泉首相が支持したイラク戦争に抗議した唯一の外交官、天木直人氏がメールマガジン上で４月３０日付け毎日新聞の記事を紹介していました。</p>
<p> ＜オバマ米政権はアフガンやイラクで無人航空機をどんどん使って爆撃している。もはや人間を殺す事に何のためらいもなくなりつつある＞</p>
<p>＜米国本土の基地から衛星通信を使い。一万キロ以上離れた戦地で無人航空機を飛ばす。兵士は自宅で家族と朝を迎え、基地に出勤。モニター画面に映る「戦場」で戦い、再び家族の待つ家に帰る。<br />
　午前中３時間はアフガンで（爆撃機を）飛ばし、１時間休憩して午後の３時間はイラクで飛ばす。<br />
　そこには爆撃の犠牲になったおびただしい数の無辜の市民の悲鳴や悲しみ、怒りは一切聞えない。<br />
　米軍はこの無人航空機をプレデター（捕食動物）と呼び、その後継新型機をリーパー（死神）と呼ぶ。<br />
その無神経さに驚かされる。<br />
　米兵は死なないで相手をいくらでも殺せる。米軍司令官は無人機を「最も価値ある兵器」と呼び、米兵が死なないから米議会では空爆を議会で取り上げることはない。戦争と認識すらしないのだ＞。</p>
<p>　評論家や学者たちはこのような事実を直視し、日本とアメリカは価値観を共有している、といった美辞麗句は慎み、<br />
「アメリカの戦争は残虐非道で、テロとの戦い　で犠牲になる人々の人権は確かに無視されている。しかしそれでも国を守るために日米安保は堅持すべきである」と言って頂きたいと思います。<br />
　そして私共は今、アメリカに基地を提供し、米国債を大量に買って戦費を貢ぎ、アメリカの非道な戦争と大量殺戮に加担することと引き替えに、アメリカに日本の安全保障を委ねる以外に、この国の安全保障の在り方はないのか、ということを自分たちのこととして考えてみるべきではないでしょうか。<br />
　無論すぐに実現できるようなことではありませんが。</p>
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		<title>「脱イスラム入欧」からの脱却ートルコエルドアン首相の挑戦</title>
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		<pubDate>Thu, 27 May 2010 06:48:18 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[&#8195;「日本の蘇生」やこのホームページで何度も書いてきたように、私のような不精者が本を書いたり、ブログを書いたりするのは、世界に押し寄せる大変動期の波を日々感じながら日本の過去と現在を見つめ、未来への方向性を考えて [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&emsp;「日本の蘇生」やこのホームページで何度も書いてきたように、私のような不精者が本を書いたり、ブログを書いたりするのは、世界に押し寄せる大変動期の波を日々感じながら日本の過去と現在を見つめ、未来への方向性を考えてみたい、という欲求に基づいているのですが、日本のマスメディアは常に内向きで些末な議論に終始し、世界史の変化の胎動を感じることは殆どできません。<br />
&emsp;メディアが日々出口の見えない普天間基地移設問題に明け暮れるなか、先日ＮＨＫ衛星第１の国際ニュースを見ていたら、カタールのアルジャジーラが「イランがトルコとブラジルの仲介で低濃縮ウランの国外搬出に同意した」と報じました。これは大ニュースではないか、とインターネットで詳しい報道を捜しましたが、日本の主要メディアがこのことを報じた形跡はなく、ようやくＡＳＡＨＩ.ＣＯＭで詳細を知ることができました。それによれば<br />
「イランの核開発問題をめぐって国際社会が追加制裁に向けた論議を進める中、同国は５月１７日、保有する低濃縮ウラン（濃縮度３．５％）を国外搬出することで仲介に当たってきたトルコ、ブラジルと合意した。これまで国外搬出を拒んできたが、相手国を隣国トルコとすることで、譲歩に転じた。」<br />
&emsp;主な合意内容は、<br />
（１）イランは保有する１．２トンの低濃縮ウランをまずトルコに搬出し、ＩＡＥＡの管理下に置く<br />
（２）フランス、ロシア、米国などが合意した場合、２０％に濃縮・加工された核燃料棒１２０キロを受け取る。<br />
&emsp;等で<br />
「イランは近く、国際原子力機関（ＩＡＥＡ）に合意内容を正式に通知する。」<br />
とのこと。<br />
&emsp;これまで「核開発はあくまでも平和利用のため」と主張してきたイランに対して「国際社会」はイランがウラン濃縮を行って核兵器の開発を行うのではないか、と疑いの目を向け、厳しい経済制裁を課し、アメリカやイスラエルではここ数年、「イランが核兵器を持つ前に先制攻撃を行うべき。核兵器の使用の可能性も排除すべきではない」という強硬論が横行して一発触発の危機感が漂っていました。おそらく「大量破壊兵器を持っている」と濡れ衣を着せられて戦争を仕掛けられ、国を破壊されたイラクの苦い教訓を踏まえ、イスラエルやアメリカにイラン攻撃への口実を与えないための、トルコとブラジルの外交的な配慮であろうと思います。<br />
&emsp;今年３月ドーハで行われたワシントン条約締約国会議で、大西洋・地中海産のクロマグロの国際商業取引を原則禁止するモナコ提案が大差で否決された時にも感じたことですが、国際社会の様々な局面で欧米の思惑通りにはいかなくなった世界の地殻変動が垣間見えてきます。<br />
&emsp;イスラエルやアメリカによるイランへの攻撃を回避させるために連携して動いたのがトルコのエルドアン首相とブラジルのルラ大統領であったことは私にとっては大きな意味があります。この二つの国の置かれた歴史的な条件や新たな時代への変革が、世界の多極化や価値観の変化を象徴しているように思えるからです。そしてこの二国とも、国際的に非常に存在感のある指導者が国民の高い支持率を背景に内政や外交でリーダーシップを発揮しています。<br />
「多極化とはなんなのか」で私はこの二国を多極化時代の主要プレーヤーの一角としてかなり詳しく書いているのでここでは繰り返しを避けたいと思うのですが、ただトルコに関してはこれからの日本を考えるにあたって色々な示唆を与えてくれるように思うので、再び簡単に触れておきます。</p>
<p>&emsp;つい最近までトルコといえば、ＥＵの一員となることを熱望しながらなかなか受け入れてもらえず苛立っている国、という印象でした。かつて長い間オスマントルコ帝国としてヨーロッパの国々と対峙し、国民の９割がイスラム教徒であるトルコをＥＵに迎え入れるのは、それがＥＵの強化に繋がると分かっていてもＥＵ内で根強い抵抗があります。でもトルコにしてみれば、近代トルコの父ケマル・アタチュルク以来日本の明治維新をお手本に脱イスラム・入欧の道を歩み、政教分離、世俗主義の政治を行ってきたのですから、欧州の一員として認めて欲しいという国民の期待も強かったのだと思います。ＮＡＴＯに加盟し、政治的にはアメリカ、イスラエル寄りだといわれてきました。<br />
&emsp;そのトルコに変化の兆しが見え始めたのは、穏健なイスラム主義を掲げる公正発展党の創設者で党首であるエルドアンが２００３年、イラク戦争開戦の年に首相に就任して公正発展党の単独政権が発足した頃からだったように思います。<br />
&emsp;エルドアンを見ているとそのリーダーシップは強力で、親欧米世俗主義の都会の知識層や軍部の批判を受けつつも少しずつ伝統的なイスラム世界への回帰を図り、国民にかつての誇りを取り戻させる傍ら、資源獲得や経済発展の為の政策も怠りなく、外国訪問の際にはいつも多くの閣僚と経済人を同行させています。<br />
&emsp;経済危機で元首級がだれも訪問しなくなっていた、長年軍事的に対立してきたギリシャにも多くの経済人を伴って５月１４日に訪問してギリシャとの経済交流の活発化を図りました。<br />
&emsp;エルドアン首相を見ているとその外交はしたたかで柔軟で、トルコが将来的にどのような国家を目指すべきなのか、というしっかりとした目線が感じられます。それは一国の指導者として当然のことですが、益々アメリカ従属一辺倒に傾いてアメリカの顔色ばかりを窺い、自主外交を放棄している日本の現状を考える時、何故日本にはこのような指導者が現れないのか、と思わざるを得ません。</p>
<p>&emsp;昨年１月、イスラエルのパレスティナ攻撃の直後に行われた世界経済フォーラム（ダボス会議）では、長々と自国のやったことを擁護するイスラエルのペレス大統領の後に発言して、イスラエルが行った残虐行為を非難し、途中で司会者によって発言が打ち切られると怒りを爆発させて退席し、この行動が全イスラム世界に深い共感を呼び起こしました。<br />
&emsp;２０世紀初頭、オスマントルコ帝国が解体された後、その広大な地域の殆どはイギリス、フランスなどの支配下もしくは影響下に置かれ、戦後はアメリカの影響下、多くの親米政権が誕生して、アメリカは石油利権を独占してきました。イラク戦争やイスラエルのパレスティナに対する非道ぶりが人々の怒りに火を付け、かつてオスマン帝国領だった地域のイスラム教徒たちの間にトルコへの回帰現象が起こっているようにも感じられます。<br />
&emsp;欧米の覇権が終焉に向かう中、欧米各国とも協調しながらトルコの歴史的軌道修正を行う役割を担って、現れるべくして現れてきた指導者のように思われます。</p>
<p>&emsp;昨年の戦後初の政権交代で、日本にも国民が誇りを取り戻せるような変化が起こるかもしれない、と期待した私は本当に甘かったと思うのですが、日本では「脱亜入欧米」からの脱却や自立した独自外交、国際的な発言力の増大などはまだ当分望めそうにありません。</p>
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		<title>９１１の真相とアメリカの戦争</title>
		<link>http://www.nihonno-sosei.com/blog/226</link>
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		<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 14:36:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　２００１年９月１１日、ニューヨークで同時多発テロが起きた直後、アメリカのあるテレビ局が
「ケネディ暗殺事件がそうであるように、人々はこの事件と共に、その時自分は何処で何をしていたか、を記憶することになるだろう」
と言っ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　２００１年９月１１日、ニューヨークで同時多発テロが起きた直後、アメリカのあるテレビ局が<br />
「ケネディ暗殺事件がそうであるように、人々はこの事件と共に、その時自分は何処で何をしていたか、を記憶することになるだろう」<br />
と言っていました。<br />
　確かにその衝撃度からいって数十年に一度の大事件であり、私もあの日何処にいて何をしていたかを鮮明に覚えています。<br />
　私はその日、娘と姪を連れてパリを散歩していました。ノートルダム寺院の塔の天辺まで登ってセーヌ川とパリの市街を見下ろし、ブルバール・サンミッシェルとサンジェルマンが交差する角の　若い頃気に入っていたカフェ・ド・クリュニーが味気ないセルフサービスのレストランになっていることに失望しつつそこで昼食をとり、その後姪と別れて主人の待つホテルに戻るためタクシーを拾いました。セーヌ河畔を走るタクシーの車内ではラジオからなにやら興奮したアナウンサーの声が響き渡っていました。一体何を言ってるんだろう、と耳を澄ますと、どうやらニューヨークでとてつもないことが起こったらしい。ハイジャックされた二機の飛行機がワールドトレードセンターのビルに激突した！？くらいの事は分かりましたが、しきりに繰り返される「ベン。ラダン（ビン・ラディン）」とか「マスード」（北部同盟を率いてソ連軍と戦い、アフガニスタンに穏健なイスラム政権の樹立を目指す。９・１１の二日前に暗殺された）などの言葉は、それが人名であるらしいとは分かっても私には意味不明でした。アラブ系とおぼしき運転手が対向車線のタクシーの運転手と私には理解できない言語で何かを叫び合い、その興奮ぶりは異様でした。<br />
　ホテルの部屋に駆け込むと、主人がテレビに釘付けで、そこでようやく事件の概要は分かりましたが、私どもはその夜、ブローニュの森の中にあるレストランに招待されており、ホテルを出た時、アメリカの空にはまだ１０機余りのハイジャックされた飛行機が飛んでいる、という情報が流され、一体これからどういうことになるのだろうと、食事中もそのことが頭をかすめました。</p>
<p>　もう一つ、私が９・１１と併せて記憶に留めたことがありました。それはこの事件と直接の関係はないのですが、翌日娘達の部屋に行くと、かつてフランスの植民地だったコンゴから来たというメイドさんが部屋の清掃をしていました。何がきっかけでそんな話になったかは覚えていないのですが、彼女は少し訛りはあるものの流暢なフランス語でこんなことを語りました。<br />
「マダム、アフリカで何が起きているか知ってますか。何故絶え間なく内戦が起こるか。彼等が武器を渡して双方を戦わせているんですよ。私の村でもそうでした。対立を煽り、武器を渡して殺し合いをさせる・・・」<br />
　彼女の目は怒りに燃え、その言葉には重みがありました。何故彼女が９・１１を報じるテレビを前にして私に同時多発テロではなく、このような事を語ったのか、その時の私にはよく分かりませんでしたが、その後アフリカの内戦のニュースに接する度に私はあの時の彼女の言葉を思い出しました。「分断して統治する」という旧宗主国のアフリカ支配の実態、武器商人たちの跋扈・・・。けれども昨今ようやくアフリカ諸国が欧米の内政干渉を廃して統合を模索しながら発展して行く兆しを感じております。</p>
<p>　私が９・１１同時多発テロに疑問を感じるようになったのはそれから数年後、パソコンを始めてインターネットの色々な情報に接するようになってからのことでした。そして調べて行くうちに、ワールドトレードセンターの３棟のビルはアメリカ政府の公式発表のように、テロリスト達がハイジャックした飛行機が激突した結果崩落したのではなく、何者かによって爆破解体されたのだと確信するに至りました。こういうことを容易には信じない主人だってこれを見れば、とある日私は様々な資料をプリントアウトして主人に説明を試みたのですが、主人はそれを見るなり怒り始めました。「こんなものを信じるとは！」<br />
　それ以来この話は我が家ではタブーでした。<br />
　その主人があっさり「爆破解体説」を受け入れたのは、京都大学の工学部を出たある大手メーカーのエンジニアだった方からお話を聞いた時でした。そのメーカーはＷＴＣワールドトレードセンターが建設されたときに資材を納入しており、その方は事件直後現場に行ってご自分で色々と調査なさった末に、三棟のビルのあのような崩落は事前に爆薬を仕掛ける以外には起こり得ないこと。飛行機が衝突していない、一号館、二号館から離れて建っていた７号館まで崩落するのは不自然過ぎること、飛行機が突っ込んだとされる国防総省の事件現場の不自然さ等々を専門家の立場から極めて科学的に分かりやすく説明してくださいました。</p>
<p>　インターネット上には９・１１同時多発テロの真相解明を試みる様々なページがありますが、上のような事情からすれば一番説得力があるのは、「<a href="http://www.ae911truth.org/signpetition.php" target="_blank">９・１１の真実を求める建築家とエンジニアたち（Architects &#038; Engineers for 9・11 Truth = AE911Truth）</a>」のホームページかもしれません。</p>
<p>　この会は建築や構造力学などの専門技術者たちの集まりで、２００９年１１月の時点で９７０名が、氏名、経歴、肩書きを明らかにしたうえで署名し、会員となっているとのこと。アメリカ以外にもカナダ、メキシコ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、様々な国の専門家たちが参加していますが、日本人の名前は見当たらないようです。<br />
　代表者のリチャード・ゲイジ氏はアメリカ建築協会に所属する現役の建築家で、「誰がなんの為に」ということには一切触れず、ひたすら専門家として、建築学的、構造的、力学的に９・１１の真相解明に努め、米議会に対してこの件に関しての再調査を要求するために活動しているとのことで、昨年１２月に来日して各地で講演を行い、その主張は週刊朝日にも紹介されました。<br />
　私も「誰が、なんの為に」という問題はここでは避けて通ろうと思います。この件に関して様々な情報が流され、世界史の暗部にまで踏み込んで様々な秘密結社のことなどが語られ、この事件をある壮大な計画の一端であると指摘する人々もいますが、私にはそれを検証する術も能力もありません。ただ９・１１というのは調べてみると、長い年月をかけて練り上げられ、驚くほど周到に準備された壮大なプロジェクトであり、アメリカ政府内部の関与が全くなくて実行出来ることとは思えません。</p>
<p>　政権交代しても益々対米従属一辺倒に傾いてゆく日本ではこの件について真剣に考える人はごく少数派です。しかしもしあの世界中の人々の目を釘付けにした同時多発テロが、アメリカ政府が主張するように、オサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダによって実行された犯行でないのならば、小泉政権が無条件に支持し、現在もアメリカの「正義の戦争」の根拠となっている「テロとの戦い」そしてそれを口実にして始められたアフガン戦争、イラク戦争とは一体なんだったのでしょうか。アメリカの最も忠実な同盟国であり、憲法９条に守られて直接戦闘に参加することだけは免れているもののアメリカの戦後のすべての戦争に基地と税金を提供して加担してきた日本の国民として、私どもはこの問題を直視する義務を負っていると思います。そこでアフガン戦争、イラク戦争についてここでもう一度考えてみたいと思います。</p>
<p>　アメリカ政府が同時多発テロの主犯をオサマ・ビン・ラディンと断定したのは事件発生の僅か４日後の９月１５日のことでした。世界はビン・ラディンと彼が組織するアルカイダの危険性におののき、アメリカ国内はもちろんの事、世界中で報復やむなし、の空気が広がりました。そして１０月７日、アメリカはビン・ラディンが潜んでいるとされた地域への空爆を開始しました。それから８年半余り、アメリカはアフガニスタンとイラクであらゆる残酷な近代兵器を駆使した一方的な戦闘を行い「誤爆」によって大量の市民達を虐殺し、そして今もアフガニスタンでの戦闘は継続中。タリバンを掃討するする、という口実のもと、例えばアフガニスタン・パキスタン国境に無人飛行機を飛ばして連日のように空爆を行い、一般市民を巻き込んでも意に介さないようです。<br />
　我が国の総理は国会の施政方針演説で「命を大切にしたい」と繰り返しましたが、彼の言う「命」とは日本人の命しか意味しないのでしょうか。理不尽に突然、子供や親や兄妹の命を奪われた人々の怒りと悲しみを私どもは他人事として無視していてよいのでしょうか。<br />
　しかも今に至るまで、「テロとの戦い」の口実であった筈のアルカイダという組織の実態は明らかにならず、オサマ・ビン・ラディンはフセインのように捕縛されることもなく、生死も不明の状態です。<br />
　ビン・ラディンの生家がサウド王家とも極めて親しいサウジアラビアの大財閥であることはよく知られた話です。Ｗｉｋｉｐｅｄｉａ　によれば、</p>
<p>「現在、『サウジ・ビン＝ラーディン・グループ』は、アメリカ、アジア及び欧州に多数の支部と子会社（60社以上）を有し、石油及び化学プロジェクト、遠距離通信及び衛星通信に従事している」<br />
　そして</p>
<p>「グループの特徴としては、多数のアメリカ人ビジネスマンが参加していることが挙げられ、アメリカのブッシュ大統領一家とも金銭的つながりがあり、父のムハンマド・ビン＝ラーディンは元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュとともにカーライル投資グループの大口投資家であり役員だった。また、ウサーマの兄のサーレムは元アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュがかつて経営していた石油会社の共同経営者である」</p>
<p>　２００４年のカンヌ映画祭パルムドール（作品賞）を受賞したマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏９１１」はこの辺りの事情を明らかにしている訳ですが、ビン・ラディンがこの一族の反逆児なのか、あるいはこの一族がアメリカの支配階級と繋がりを深め、親子二代で大統領になったブッシュ一族とビジネスを展開してゆくうえでアメリカの諜報活動や謀略に何らかのかたちで関わっていたのかは、私にはよくわかりません。けれども例えば２００４年１１月２日の大統領選挙の数日前、中東の衛星テレビ、アルジャジーラが放映したビデオで、２００１年の９・１１同時テロを行ったことを認め、更に「米政府の政策が続けば今後も同様のテロが繰り返されるだろう」とアメリカ国民を脅した時、まるでブッシュへの応援演説だと感じてしまったのは否めません。<br />
イスラムの大義の為に戦う単なる「反米の英雄」ではないように思えます。</p>
<p>　２１世紀に入ってからのアメリカは主にイスラム過激派との終わり無き「テロとの戦い」を始めて、イスラム教徒たちのアメリカへの敵対心を煽っていますが、１９７０年代後半からはアフガニスタンで、ムジャーヒディーンと呼ばれるイスラムの大義の為の聖戦を唱える過激なイスラム教徒達を組織して養成し、資金提供を始めています。アフガニスタンに於けるソ連の影響力を牽制するためでしたが、若き日のビン・ラディンもそこに加わっていた、という指摘をよく目にします。<br />
　１９７８年共産主義政党であるアフガニスタン人民民主党政権が誕生し、アメリカの介入も本格的なものとなっていったようですが、 その目的は<br />
「カブール政権を守るためにソ連がアフガニスタンに侵攻するようそそのかし、ライバルである超大国にも『ベトナム』をお見舞いしてやることだった」<br />
と公然と認めているのはカーター政権（１９７７－１９８１）の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたブレジンスキーです。彼の作戦は見事功を奏して、１９７９年の１２月、ソ連のアフガニスタン侵攻が始まり、それはやがてソ連崩壊へと繋がって行きます。</p>
<p>　アフガニスタンは、パキスタン、イラン、中国、そして中央アジアのウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、六つの国々と国境を接しています。つまり、中華文明、インダス文明、ペルシャ文明、というユーラシア大陸の大文明が交錯する地にあり、様々な民族がぶつかり合って、島国の日本では想像もつかない動乱の歴史が繰り広げられてきました。<br />
　紀元前４世紀頃、現在のアフガニスタンはアケメネス朝ペルシャの領土となっていましたが、ＢＣ３３０年ペルシャがアレクサンドロスによって滅ぼされたことによって、東西の文化は融合し、やがて今のパキスタン北部からアフガニスタンに跨るガンダーラの地に、ギリシャ彫刻の影響を色濃く受けた仏像が世界で初めて生み出されます。その後アフガニスタン北部に興ったクシャン朝の全盛期、カニシカ王の治世のもと、仏像はアジア全域に広がってゆき、やがてシルクロードを通って日本にまで到達するに至ります。そしてそれは日本の文化や精神風土に計り知れない影響を与えました。<br />
　ペシャワールを中心とするガンダーラの地が、絶え間ない戦禍に晒されている現状に心が痛みます。</p>
<p>　さて、今から丁度７年前の３月２０日、アメリカはイラクへの侵攻を開始しました。<br />
　世界中で巻き起こったイラク反戦デモは史上空前と言われ、述べ１０００万人の人々が参加したと言われています。<br />
　たまたまメールを整理していたら、イラク戦争開戦時にイタリアに滞在していた知人のメールの次のような一節を見つけました。</p>
<p> 「 ミラノ滞在中に予測されていた通り、イラク戦争が勃発、思いがけずイタリア全土で繰り広げられた反戦デモを目の当たりにしました。<br />
フィレンツェでは５０万人もの大規模なデモとなり、中央市街地には近づけない有様でした」</p>
<p>　私も結婚前仕事で年に何回かイタリアに行っていた時期がありましたが、フランスならともかく、イタリア全土で反戦デモが繰り広げられる、というのは彼等の気質からしても私には驚きであり、ましてやあのルネサンスの時代の栄光を今に留める古都フィレンツェの中心街がデモの人々で埋め尽くされる光景は私の想像を超えています。<br />
　世界中でこれほど多くの人々をイラク反戦に駆り立てたものはブッシュの唱える「先制攻撃論」や「強制民主化」の危険性だったように思います。<br />
「イラクには大量破壊兵器がある」。<br />
「フセインはアルカイダと結託してアメリカ本土を核攻撃してくるかもしれない。だからやられる前に攻撃すべきだ」<br />
とアメリカ人の恐怖心を煽り、独裁者フセインへの憎悪を掻き立て、「独裁者からイラクの人々を解放するのはアメリカの崇高な義務である」と「正義の戦争」を強調したわけですが、その根拠となるものはあやふやで、全ての加盟国に、他国への武力による威嚇や干渉や武力の行使を禁じた国連憲章の精神や、戦争の放棄や戦争の違法性の確立を目指す、１９２８年の不戦条約以来の国際法の精神にも反していました。<br />
　結局アメリカは世界中の反対の声に耳を貸さず、開戦時にすべての加盟国に義務づけられている国連安保理の決議も待たず、イラクへの空爆を開始し、２００３年５月１日のブッシュ大統領による「大規模戦闘終結宣言」以降もイラク全土で激しい戦闘が繰り広げられました。<br />
　戦争の口実に使われた大量破壊兵器は見つからず、フセイン政権とアルカイダは関係がなかったことも分かり、この戦争は如何なる意味に於いても大義も正当性も全くない戦争でした。<br />
　開戦後暫くしてＮＨＫの国際放送で、アメリカ国防総省の機密文書から、嘗てアメリカ軍がイランと戦わせるためにイラクに化学兵器を供与していたことが判明した、という報道に接して激しい怒りを覚えたことがあります。イラク戦争開戦前、アメリカはサダム・フセインの残虐性を示す一例として、クルド人に対する化学兵器の使用を挙げてフセインを激しく非難していたはずです。<br />
　<br />
　「自由と民主主義」の美名のもとに行われたこの戦争で一体どれほどの人名が失われたのでしょうか。最近見たテレビの報道ではアメリカ軍の死者を約４５００人と伝えていました。イラク人の死者数に関しては５万人－１０万人と数字にはばらつきが目立ちますが、そんなものではない、という指摘もよく目にします。例えばフリーのジャーナリスト 志葉 玲さんがホームページで、アメリカのジョンズホプキンズ大学医学部のギルバート・バーンハム教授ら4人の米国とイラクの研究グループが２００８年5月から７月にかけて調査を実施し、イギリスの有力医学雑誌「サンセット」に発表した論文を紹介していますが、それによれば「２００３年３月から２００８年６月までのイラク人犠牲者の数は、約６５万５０００人に達する」とのこと。無論鵜呑みにするわけにはいきませんが、それにしても公式発表との間に何故このような差が生まれるのか。志葉さんは自身何度もイラクで取材した経験も踏まえて、<br />
「 2004年4月、11月のファルージャ市での虐殺を始め、ラマディ、カイム、ハディーサなどの地域で、街を包囲し病院や学校、一般住宅をも無差別に攻撃を行う、ということを米軍は繰り返してきた。これらの地域には、報道関係者はおろか、医療関係者も排除されたので、現地での被害実態はこれまで明らかになっていなかった」<br />
と書いています。<br />
　「テロとの戦い」は残酷な戦争です。テロリストの掃討作戦が行われる時、兵士たちには一般市民とテロリストの区別は付きづらく、しばしば市民をも殺傷することになり、心に重い傷を負ったイラクからの帰還兵の多くがＰＴＳＤ（心的外傷後ストレス障害）に悩まされているといいます。</p>
<p>　イギリスでは昨年イラク戦争に関する独立調査委員会が立ち上げられ今年１月には開戦時にブッシュ大統領を支持してイラクへの派兵を行ったブレアもと首相が証人喚問されました。またオランダでも同様の調査委員会が１月、「イラク戦争は国際法に違反した不法な戦争だった」と結論づけています。<br />
　日本でも同様の調査委員会を立ち上げ、小泉政権が無条件に支持し、イラクのサマワに自衛隊を派遣し、兵士や物資の輸送を担ってアメリカ軍と共に戦ってきたことの是非を検証することを国民として求めて行くべきではないでしょうか。９１１同時多発テロと、その結果引き起こされたアフガニスタンとイラクでのアメリカの戦争を直視し、検証することなく、ひたすら日米軍事同盟にすがり、自国の安全だけを考えてアメリカの核の傘のもとに安住し、アメリカに侵略されている国の人々の悲惨な状況には目をつぶる。そのようなこの国の姿を情けないと怒る人々、とりわけ正義感の強い若者たちが日本にはもういなくなってしまっただろうか、と寂しく思っていたら、私の尊敬する女優の岸恵子さんが吉永小百合さんとの対談で次のように語っているのを見つけました。<br />
「夫から受けた影響は数えきれませんがその一つが社会、ひいては世界に目を向けて自分の意見を語ることです。でも世間というものはときにせっかちで的はずれなレッテルを貼りたがる。以前元首相の中曽根さんのパリでの演説が素晴らしく日本をアピールしたと言ったら岸恵子は中曽根派なのかといい、アメリカのイラク侵攻を批判したら今度は共産主義かという。そうした暗愚な誤解を承知で、私は今世界に広がる「核」の恐怖、特に真近な国が持ってしまった「核」が果たすかもしれない最悪の事態に備えて議論するのは必要に思えるの。自分が正しいと思うことは表明したいの。中略<br />
　日本は人を殺さなくていいけれど、大義とか正義の美名のもとに地球上の弱者は今日もさまざまな形で殺され続けていると思うと我慢ができないんです」。<br />
（家庭画報　新年特大号）<br />
　<br />
　パレスティナで、イラクで、アフガンで、家を焼き払われ、生活を破壊され、命まで奪われる多くの人々のことを考えていつもやり場の無い怒りを感じている私としては、岸さんの「我慢ができないんです」という言葉、励まされました。</p>
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		<title>非核三原則の形骸化ーダニエル・エルスバーグの証言</title>
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		<pubDate>Mon, 15 Feb 2010 10:24:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　鳩山政権が発足してから５ヶ月がたとうとしていますが、その間私共は総理の理想主義と現実政治との乖離を見せつけられてきました。とりわけ日米同盟に関しては「対等な日米関係」どころか、益々アメリカの様々な意味での日本支配は強ま [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　鳩山政権が発足してから５ヶ月がたとうとしていますが、その間私共は総理の理想主義と現実政治との乖離を見せつけられてきました。とりわけ日米同盟に関しては「対等な日米関係」どころか、益々アメリカの様々な意味での日本支配は強まり、アメリカの軍事行動にいよいよ日本も引きずり込まれてゆきそうな方向性が見えてきています。<br />
　そして岡田外相が９月１６日の組閣の翌日の未明に外務省藪中事務次官に突きつけた「核持ち込みに関する密約」などについての調査報告も、１１月末という期限はとっくに過ぎ、今や国民に情報を開示して外交の透明性を高める、という当初の意図から大きく逸脱して、核密約を如何に正当化するか、に焦点が移っているようです。<br />
　世界で唯一核爆弾を投下され、その惨禍を経験した日本が、世界に向かって核爆弾の危険性と被爆の悲惨さを、そして核の廃絶を訴えるのは日本に与えられた世界史的な使命、と私は固く信じているのですが、そのような考え方はとかく日本社会では「左翼的」というレッテルを貼られてしまうようです。<br />
　日本の領域に於いて核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を国是としながら、アメリカの核の傘に守られるという大いなる矛盾を冒してきた日本で、原子力潜水艦などの「寄港、領域通過」が常時行われていたであろうことは国民はうすうす知っていても、自民党政権はこれまで何度も頑なに否定し続けてきました。民主党政権は自民党がその矛盾から国民の目をそらす為にひた隠しにしてきたアメリカとの「密約」をむしろ積極的に開示して国民に現実を受け入れさせよう、という作戦のようです。１月１９日の朝日新聞で長島昭久防衛政務官は、<br />
「これまでは、日本の非核三原則と米国の拡大抑止をバランスさせる歴史の知恵があったと思う。米国の拡大抑止に依存している現状を考えたときに、密約の調査結果は今後の政策を縛るものであってはならない。大事なのは非核三原則の意味を明確化することだ」<br />
と語り、また外交官ＯＢの岡本行夫氏は、<br />
「僕は日米間に『密約』はなかったと思う。あったのは認識のずれで、それに薄々気づいていたが確認しなかったということだろう。米国の解釈では一時寄港や領海通過は『持込み』ではない、だから非核三原則は守っていると。実際、日本が言っているのは３・５原則だ。本来の３原則に一時寄港と領海通過という０・５がくっついている・・・」<br />
と語っています。ちなみに鳩山総理は、自らの政策顧問を、アメリカに受けが悪い寺島実郎氏から、外交官ＯＢの岡本行夫氏にすげ替えた、と噂されていますが、岡本氏のこのような発言は将に「アメリカ好み」ということなのでしょうか。<br />
　１９６７年１２月、「非核三原則」を国際社会に向かって高らかに宣言し、１９７４年には佐藤栄作元首相がその功績でノーベル平和賞まで受賞しながら、アメリカの核の持ち込みを黙認していた日本政府のやり方を「歴史の知恵」とはあっぱれなすり替え、と驚きますが、実はこれはアメリカ側はとっくに認めていたことであり、「核搭載艦が日本に立ち寄るとき、いちいち核弾頭をはずすことはない」というアメリカ側の議会証言もあります。<br />
　けれどももし「寄港や領海通過」だけでなく、沖縄に核が配備されていたとしたら、それでも長島昭久防衛政務官や岡本行夫氏は「それを国民に隠したのも『歴史の知恵』非核三原則と矛盾しない」と仰るのでしょうか。あるいはこれは「密約」などではなく、本当に日本政府は知らされていなかったのでしょうか。</p>
<p>　知人のジャーナリストの方が、「世界」２０１０年２月号に掲載されたダニエル・エルスバーグ  回顧録　＜アメリカの凶器・核の時代　その真の歴史を暴く＞のコピーを送って下さいました。<br />
　実は私は、エルスバーグといえばペンタゴンペーパーズの漏洩者、くらいの知識しかありませんでした。今回この文章を書くにあたり調べてみて、彼の信念と良心に基づいた勇気ある行動がアメリカ社会を動かしてベトナム戦争の早期終結に繋がっていった経緯を知って感銘を受けました。</p>
<p>　今回私が「回顧録」を読んでなによりも驚いたのは、エルスバーグが沖縄の嘉手納基地で見て触った、という水素爆弾についての記述でした。その事実を少しでも多くの方に知って頂きたく、以下に紹介いたします。</p>
<p>　１９５９年の秋、エルスバーグはランド研究所が組織した専門調査会の一員として沖縄にいました。その時目撃したことを次のように書いています。</p>
<p>「私自身小型の水爆をいくつか見たことがある。それは１，１メガトン、すなわち１１０万トンの高性能爆弾に匹敵する爆発規模のある水爆で、それぞれ一発が第二次世界大戦で使用された全爆弾の爆発威力合計の半分に相当した。私が見たのは沖縄の嘉手納空軍基地で、発令１０分以内に出撃できる警戒態勢にあった。１０人乗りのＦ１００戦闘爆撃機の下部に搭載されていたものだ。ある時戦闘機に搭載される前の水爆の一つに触ってみたことがある。涼しい日だったが、その水爆の滑らかな金属面は内部の放射能で温かかった。人肌のようだった。<br />
　嘉手納ではパイロットたちは警戒態勢を取る機内に待機したり、滑走路上で警戒任務に就いたりしているわけではなかった。彼等は基地内の売店であれ自分の兵舎であれ何処にいることも許可されていた。運転手が常時付き添い、警報が鳴ると数分内で滑走路に戻れるからだ。少なくとも一日一回警戒訓練をしていた。担当官がその日のリハーサルの時間を私たち調査団が決めて良いと言った。私たちの団長が「よし、今だ」と言うと車の警報が辺り一帯に鳴り響きほとんど瞬時に滑走路へ続く道全てにジープが急カーブを切りながら現れ、滑走路に着くやパイロットが飛び降り、ヘルメットや飛行服のベルト類を締めながら操縦席に大急ぎで乗り込んでいった。１０機のエンジンが始動した、ほとんど同時にだ。<br />
　一発の水爆で大きな都市を壊滅できた。」</p>
<p>　広島・長崎に投下された原爆とは比較にならぬほどの破壊力を持つ、臨戦態勢の爆撃機に搭載されていたこれらの水爆はその後どうなったのでしょうか。<br />
　大メディアが一切報道しようとしない在日米軍基地の核の存在を、青森県の日刊紙「東奥日報」の斉藤光政記者が２００８年９月に出版した「在日米軍最前線」（新人物往来社　記者が選ぶジャーナリスト大賞受賞）で明らかにしています。<br />
　同書によれば「嘉手納基地の４,０００ｍ滑走路と県道７４号を一つ隔てた東端の弾薬庫入り口部分に核貯蔵庫があり、最低でも２００個以上核弾頭が貯蔵されていた」<br />
　斉藤記者はアメリカに滞在してアメリカ軍の機密文書を調べ、日米の関係者に丹念に取材して、日本で初めて嘉手納基地の核の貯蔵場所やその数を特定したとのこと。<br />
　そして嘉手納基地の核は青森県の三沢基地のほか、入間、小牧、板付に運ばれ、実際の訓練に使われていることを同書は明らかにしているようです。（まだこの本を読んでいないのでインターネットのこの本を紹介している幾つかのページを参照しました。斉藤記者とその活動を支える東奥日報のジャーナリズム魂と勇気に心からの敬意を表します）</p>
<p>　この核貯蔵庫の存在は沖縄の人々にとっては周知の事実だったのでしょうか。目取真俊という方の「沖縄・ヤンバルよりー海鳴りの島から」というブログに次のような一文がありました。<br />
「沖縄の戦後史を少しでも知っている者ならすぐに、１９６８年１１月１９日に起こったＢ５２の墜落事故を思い出すだろう。離陸寸前に爆発、炎上した同機がもう少し先で墜落していたら、嘉手納弾薬庫の核兵器貯蔵施設を直撃したかもしれない。当時の沖縄人はそう考え恐怖に襲われた。」<br />
　米軍基地や核に関する事柄は余りに不透明で、調べ出すと私共はほとんどなにも知らされていないことに気づいて呆然とします。</p>
<p>　さてエルスバーグの回顧録に話を戻しますが、この回顧録は１９６１年の春、「大統領以外極秘」の書類を目にするところから始まります。それは一週間前、Ｊ・Ｆ・ケネディから統合参謀本部宛に送付された下記のような質問状に対する回答であり、エルスバーグはその起草者でした。<br />
　<br />
　「諸君の全面戦争計画が計画通り実行された際にソ連と中国に於ける死亡者数はいかほどになるか」<br />
　グラフで示されていた最小死傷者数は２億７５００万人。中ソだけでなく、放射線降下物の影響を受ける他国全てを含む世界的な全明細はおおよそ６億人。<br />
　当時のアメリカはこれだけの膨大な死者数が予想される核戦争に備えて日々臨戦態勢にあったということです。</p>
<p>　エルスバーグが沖縄で見たものよりずっと大きな熱核爆弾が戦略空軍の指揮下、重爆撃機と中距離ミサイルおよび大陸間弾道ミサイルに搭載されていたが、それは「長崎を破壊した核分裂爆弾の１，０００倍もの威力。２０００万トンのＴＮＴ爆弾と同等の威力。米国が第二世界大戦で投下した爆弾総トン数の１０倍。」<br />
「兵器庫にある５００ほどの爆弾の各々が２５メガトンの爆発威力を持つ。これらの弾頭の一つひとつが、人類の歴史上全ての戦争で爆発した爆弾や砲弾全部より大きな威力をもっていた。」</p>
<p>　アメリカは人類史上初めて広島と長崎で原爆を投下し、その凄まじい破壊力と長期に渡って人体を蝕み、環境を破壊する核の恐怖に世界中が震撼しました。しかしアメリカにとってはその威力は十分ではなかったようです。冷戦下その１，０００倍もの破壊力を持つ水爆を科学者たちに開発させ、国力にものをいわせて一度戦端が開かれれば６億人もの人命を極めて短期間に奪うことのできる万全の戦闘態勢を布いていたのです。もちろんその態勢の一角に沖縄の嘉手納基地がありました。将に狂気の沙汰であり、覇権国の奢りです。<br />
　冷戦下ソ連と対峙するためにはやむを得なかった、という意見ももちろんあるでしょうが、エルスバーグも別のところで指摘しているように、軍産複合体などの要請によって、ソ連の脅威はしばしば誇張された、という指摘もよく目にします。</p>
<p>　エルスバーグはそれから１０年後、内部からベトナム戦争を告発し、それ以降反戦と核の廃絶の為の運動に身を捧げることになります。<br />
　オックスフォード、ケンブリッジを卒業したエリートで、ランド研究所（政府や軍に常に多くの人材を送り込んでいるアメリカの代表的なシンクタンク）から国防総省に出向してアメリカの核戦略やベトナム戦争遂行の為の戦略に関与する立場にあった彼が何故国家反逆罪で終身刑にも処せられかねない行動にでたのでしょうか。インターネットの「雑記帖」という政治ブログに次のような記述がありました。</p>
<p>「１９６７年、国防省の官僚だったエルスバーグ氏はロバート・マクナマラ国防長官のオフィスで、アメリカの北ベトナム侵略計画を練っていました。その時、ペンタゴンの中に入ろうとした反戦運動家たちが棍棒で打たれ、逮捕されて連れていかれるのを、彼は窓から見ました。<br />
のちにエルスバーグ氏はその時のことを回想し、こう証言しています。<br />
『私は自分の胸に聞いた。この人たちは自分の良心に忠実に生きている。私がそうしたらどうなるだろう』<br />
エルスバーグ氏は『ペンタゴン・ペーパーズ』を公にすることにしたのです。」</p>
<p>　国防総省の中枢にいたエルスバーグは当初からこの戦争に疑問を抱いていたようですが、最高国家機密である７０００ページにも及ぶペンタゴンペーパーズに触れて、軍と歴代政権が勝利の見通しもないまま故意に戦線の拡大を続け、国民を欺いて戦争を泥沼化させていったことが如実に記されていることを知り、戦争の早期終結のためにこの文書の漏洩を決意します。まず信頼するニール・シーハン記者のいたニューヨークタイムスに持ち込んで、同紙が１９７１年６月に連載を開始。 諜報活動取締法や国家反逆罪などをふりかざす政府の脅しにもかかわらず、ワシントン・ポストなど他紙も続々と掲載に踏み切ります。ニクソン政権は「国家安全保障の脅威になる」として、掲載の差し止めを求めましたが、連邦最高裁は棄却。米国憲法の修正第一条（言論の自由）をめぐる歴史的判決となりました。<br />
　一旦地下に潜ったエルスバーグは窃盗、情報漏洩などの罪で起訴されましたが、ウォーターゲート事件捜査の過程で政府の側の不正が明らかになって不起訴となります。<br />
　<br />
　こういった一連の経過を辿ってゆく時、そこにアメリカ民主主義がまだあの当時は健全に機能していたことにある種の感動を覚えます。<br />
　また真の国益とはなんなのか、ということを考えさせられます。<br />
　エルスバーグの勇気ある行動はもちろんのこと、権力に敢然と逆らって掲載を続けたニューヨークタイムズやワシントンポストなどのマスコミ。「国民の知る権利」を尊重した最高裁判決。それらが人々に反戦への意識を目覚めさせ、ベトナム戦争の早期終結へと繋がり、何十万もの命を救うことになりました。<br />
　<br />
　間違った情報に基づき、国連総会の決議を待たず、世界中で巻き起こった反戦の声に耳を貸さず先制攻撃に踏み切ったイラク開戦を挙げて熱狂的に支持した２１世紀のアメリカのマスコミを思うと隔世の観があります。</p>
<p>　民主主義がきちんと機能しているかどうか、の一つの基準はマスコミの質にあると思うのですが、その点で日本のマスコミは甚だ心許ないと思わざるを得ません。とりわけことアメリカに関して日本のメディアは異常なほどに自己規制し、様々なタブーの存在を感じます。<br />
　米軍基地という治外法権をこれほど多く日本全土に抱えるこの国はやはり真の独立国とはいえないのではないでしょうか。</p>
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		<title>帝国主義の残滓ーインドと中東の場合</title>
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		<pubDate>Thu, 24 Dec 2009 04:55:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　日本では「理想主義」はとかく「現実主義」と対比され、「現実をよく知らない者の夢物語」と見られ勝ちですが、現状を肯定しているだけでは物事は決して前へは進みません。たとえそれが非現実的な理想論に見えようとも目標を掲げ、そこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　日本では「理想主義」はとかく「現実主義」と対比され、「現実をよく知らない者の夢物語」と見られ勝ちですが、現状を肯定しているだけでは物事は決して前へは進みません。たとえそれが非現実的な理想論に見えようとも目標を掲げ、そこに一歩一歩向かって行くリーダー達やそれを信じ支える多くの人々の不断の努力によって「理想」がある日現実となる、という例を私共は何度も歴史の中に見てきています。<br />
　帝国主義や東西冷戦の終焉も、「戦争のないヨーロッパ」の構築も、遂には実現しました。そして私は、「どこにも従属しない、自立して尊厳ある日本」や「核のない世界」や「戦争のない世界」も、どんなに脳天気な奴と思われようとも、不可能なこととは思っていません。<br />
　私は長い間、唯一の被爆国である日本こそが核の廃絶を世界に呼びかける歴史的な使命を負っている、と考え、「日本の蘇生」の中でも主張しました。けれども日本の「現実的な」多くの人々は、日米安保条約こそが日本の安全が保障される唯一の体制であり、日本にとってアメリカの核は必要である、と考えています。今回の普天間基地移設を巡る大騒動は、戦後ずっと続いた自民党政権の下、日本人がこの問題を一度も突きつめて考えようとしなかったツケであり、この世界史の大転換期になお非常に内向きになっている日本社会に苛立ちを覚えます。</p>
<p>「核の廃絶」という多くの日本人が到底実現困難、と考えた理想は、核を使用した唯一の国アメリカのオバマ大統領によって高く掲げられました。アメリカがどこまで本気に核のない世界を目指しているのかは疑問です。けれども、アメリカのウッドロー・ウイルソン大統領によって掲げられた「民族自決」の原則がやがて帝国主義を崩壊に向かわせたように、「核のない世界」という人類共通の理想も、世界の多くの国や人々がその目標を共有することによっていつか現実のものとなる時が来るかもしれず、もしそうなれば、２００９年はそのスタートラインとして歴史に刻まれることでしょう。</p>
<p>　それにしても、１９世紀半ば頃から加速する帝国主義の時代というのは実に過酷な時代でした。欧米による世界各地の植民地化は、１５世紀末に既に始まっていた訳ですが、この時期欧米の強国は産業革命を経て余剰資金と物資が溢れだし、市場と資源を求め、軍事力で他の諸地域を圧倒し、瞬く間に地球上の殆どの国を植民地化してしまいました。それは日本という例外を除いては白人による有色人種支配でした。<br />
　最近友人のお父様である　淡徳三郎氏＜1901‐1977　昭和時代の社会評論家。学生運動のリーダーとなり、京都学連事件（１９２５年。日本内地では最初の治安維持法適用事件として知られる）で検挙される。１９３５年思想犯保護団体大孝塾の特派員として渡仏。戦後ソ連に抑留され、１９４８年帰国。平和擁護日本委員会理事などをつとめた。＞（講談社人名辞典デジタル版）が１９４０年、１９４１年に雑誌「改造」にパリから書き送った非常に興味深い文章に接する機会があったのですが、その中にフランス人の作家ポール・モランが描く、カリブ海にあるフランスの植民地カライブ島の人々の生活についての次のような文章が引用されていました。</p>
<p>　「（フランス本土から来ている人々の恵まれた生活から）目を転じて他を見るとそこでは人は殆ど裸体であるか、襤褸を纏っているに過ぎず、一碗の米叉は数匹の焼き蝗で命をつなぎ、仕事が見つかるだけで僥倖の如く考え、１５時間はおろか１８時間も労働し、一度腹一杯食べてみたいと考える以外に楽しみはなく、道路であろうと、納屋の隅であろうと眠られる所に臥し、骸骨の如く痩せこけ、何人にも顧みられず、働いて働いた挙げ句死んでゆくのである。<br />
　そこには彼等を保護するいかなる法律もなく、高利貸しは思う存分の利益を占め、軍隊は徴発をほしいままにしている。これが黒人労働者の生活であり、有色人プロレタリアの姿である。」（ポール・モラン　カライブ島の冬）</p>
<p>　無論植民地に於ける労働者の生活がすべてこのようなものであったとは思えませんが、人間性というものを全く否定された現地人の、あるいはアフリカ大陸から奴隷として買われてきた黒人の人々の生活の実態が垣間見える、第二次大戦前の植民地の一情景として貴重な記録であろうと思います。</p>
<p>　先々回の「多極化とはなんなのか」で、嘗て欧米の植民地であった国々が今その支配から完全に独立し、白人コンプレックスから解放され、自らのアイデンティティーに目覚め、大国からの経済的・軍事的自立を求めて、次第に通貨統合や安全保障を含む地域統合へと向かっている例を幾つか挙げました。世界の多極化とは欧米による世界支配の終焉であり、ある意味では大航海時代以来５００年ぶりといってよい大変化なのです。</p>
<p>　けれども、欧米の世界支配は今の時点で完全に終わったわけではなく、その過渡期にあるわけで、世界にはまだまだ帝国主義の時代の後遺症ともいえる状況が残っています。ここではインドと中近東の例を考えてみたいと思います。</p>
<p>　２０世紀の政治リーダーで誰を一番尊敬しているかと聞かれれば私はマハトマ・ガンジーと答えます。当時の覇権国家イギリスに武力ではなく「非暴力・不服従」によって粘り強く戦いをを挑み、インドを独立に導いたガンジーの理念はキング牧師や南アのネルソン・マンデラたちに引き継がれ、私はそこに戦争に明け暮れた殺伐とした２０世紀の歴史に於ける一抹の光明を感じるのです。<br />
　ガンジーの魅力は、彼が単に独立運動の闘志であっただけでなく、明確にして普遍的な哲学と政治理念を持っていた点でした。「日本の蘇生」でも取り上げましたが、ガンジーの理想を端的に表している、ニューデリーのラージガートにあるガンジーの慰霊碑に刻まれているという、「七つの社会的罪　Seven Social Sins」　を以下に掲げておきます。<br />
　<br />
　　七つの社会的罪</p>
<p>　　理念なき政治　　　Politics Without Principles<br />
　　労働なき富　　　　Wealth Without Work<br />
　　良心なき快楽　　　Pleasure Without Conscience<br />
　　人格なき学識　　　Knowledge Without Character<br />
　　道徳なき商業　　　Commerce Without Morality<br />
　　人間性なき科学　　Science Without Humanity<br />
　　献身なき宗教　　　Worship Without Sacrifice</p>
<p>「日本の蘇生」を書いている時に、例えば現代のアメリカという社会を考えてみた場合、この七つの社会的罪が悉く当てはまるのに驚いたものでした。</p>
<p>　２１世紀に入って、インドはＢＲＩＣｓの一角として経済成長を遂げ、その存在感を増してきました。もしガンジーが生きていたら今のインドをどう見るのだろうと私は時々考えます。そしてインドの人々が豊かになることは喜んでいるにしてもまだまだ理想のインドには遠い、と感じているのではないだろうかと思います。</p>
<p>　インドが最初にオランダ、次いでイギリスやフランスによって徐々に植民地化されていったのは１７世紀初頭のことですが、１８世紀半ばにはイギリスがオランダ・フランスを駆逐してインドに覇権を確立しました。イギリスの支配が次第に過酷なものになるに連れインド人の反英感情も高まり、１８５７年、最初の反乱が起きます。そしてガンジーが歴史の表舞台に立ち、独立運動を指導するようになるのは１９１９年、第一次大戦終了後のことです。<br />
　ガンジーが理想としたのは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和であり、「一つのインド」でした。分離独立には強く反対していました。<br />
　元々ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分断を図ったのはイギリスです。独立運動の高まりに危機感を感じたイギリスは、独立運動の宗教的分断を図るため、１９０６年、親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させました。<br />
　第二次大戦後の１９４７年６月、王室の一員で、最後のインド総督であったマウントバッテン卿はインド・パキスタン分離独立案を発表。そしてその直後から、ガンジーが怖れていたように、インド各地でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で衝突が起こり、インドとパキスタンの間で紛争が始まりました。ガンジーはそれに抗議し、双方に融和を呼びかけて断食中、狂信的なヒンドゥー教徒の青年によって暗殺されました。</p>
<p>　イギリスの策謀によって引き裂かれた二つの国家は長い歴史と文化を共有しており、双方が核を持って睨み合っている状態は、ガンジーにとっては極めて不本意な筈です。尤も、「一つのインド」を双方の国民が望むかどうかは叉別の話なのですが。</p>
<p>　さて、目を中東に転じると、ここにも叉、帝国主義時代の残滓が見られます。<br />
　イスラエルという国家、不自然に引かれた国境線と、それによって分断された国家群・・・。</p>
<p>　昔、「アラビアのロレンス」という映画がありました。ゆらゆらと地平線に姿を現す大きな太陽や、陰影に富んだどこまでも続く白く雄大な砂漠を舞台に繰り広げられる迫力あるシーンの数々、そしてロレンスという、単なる「砂漠の英雄」ではない、どこか性的に錯倒した複雑な人間性を滲ませるピーター・オトゥールの名演技やオマー・シャリフの精悍な風貌に魅せられた、私にとって忘れがたい映画の一つでした。その中で、	砂漠に横座りしたロレンスが「何故砂漠が好きなのか」と聞かれて砂を掴みながら「清潔だから」と答えるシーンが何故か印象に残りました。ロレンスの深い孤独感を感じさせるシーンでした。<br />
　けれでも私はこの映画を見た時はその複雑な時代背景については殆ど何も知りませんでした。。<br />
　この映画は１９１６年ー１９１８年にかけての第一次大戦中の２年間、オスマン帝国からの独立とアラブ統一国家の樹立を目指して立ち上がったメッカの太守フサイン・イブン・アリーの戦い、所謂「アラブの反乱」を描いています。そしてアラブ人たちを統合してオスマン帝国軍と戦わせるためにエジプトのイギリス軍から送り込まれたのがト－マス・エドワード・ロレンスでした。彼は際だった軍事の才能を発揮し、非正規のアラブ軍を率いて、義経の一ノ谷の戦いに於ける「鵯越の逆落とし」を思わせるような奇襲作戦で、オスマン軍を背後から襲ってアカバを陥落させ、オスマン帝国の鉄道網を破壊し、シリアのダマスカスに入城してオスマン軍から解放します。しかし結局「大アラブ王国」は成立しませんでした。そしてそれを阻んだのは「イギリスの三枚舌外交」といわれた、互いに相矛盾する三つの秘密外交でした。</p>
<p>　１９１５年、フサインとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間で、「イギリスは対オスマントルコ戦への協力を条件にアラブの独立を支持する」という「フサイン・マクマホン協定」が結ばれました。<br />
　一方でイギリスは１９１６年に、フランス、ロシアとの間で、オスマン帝国領を三国で如何に分割するかを取り決めた秘密協定を結んでいました。イギリスの中東専門家マーク・サイクス とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ・ピコ によって原案が作成されたところから、「サイクス・ピコ協定」と呼ばれています。<br />
　また１９１７年には、当時のイギリスの外務大臣アーサー・ジェームズ・バルフォアからイギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルドへの書簡という形で、パレスティナでのユダヤ人国家の建設に対するイギリス政府の支持を表明した「バルフォア宣言」なるものも存在しています。<br />
　当時の覇権国家イギリスが戦争を有利に進め、中東に都合の良い「新秩序」を構築するために行った数々の策動は今に至るまで中東の地を非常に不安定なものにしています。</p>
<p>　そこに住む人々の意志や文化や宗教など無視してパイかなにかのように勝手に切り取り分け合う。帝国主義の時代の強国の意識とはまさに恐るべきものであると感じます。</p>
<p>　第二次大戦後、殆どの植民地が独立を果たしました。けれどもイギリスから覇権を引き継いだアメリカは、第二次大戦前ほど露骨ではないにしろ、「民主主義」の美名の下に主にＣＩＡという諜報機関と軍事力によって世界各地で軍事介入を続け、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争といった侵略戦争を引き起こしました。２１世紀に入ってアメリカの覇権が揺らぎだし、ドルが基軸通貨としての地位を失おうとしているこれからの世界は、ようやく帝国主義と訣別して、世界の国々が民族や宗教や文化等の多様な価値観を認め合う共生の世界へと変わっていけるのか、あるいはさらなる混迷が待ち受けているのか。それはまだ分かりませんが、いずれにしても今、右とか左とかのイデオロギーを超克した、もっと普遍的な価値観が求められているのだと思います。何故なら右とか左とかのイデオロギーそのものが１８世紀から１９世紀にかけてヨーロッパで生み出された概念であり、決して普遍的なものではないからです。<br />
　１９７０年代、私は資本主義にも共産主義にも失望して、いわゆるイデオロギーとは全く無縁の日々を過ごしていました。１９７６年に田中清玄氏と出会った時、戦前は武装共産党の書記長まで務めた左翼であり、戦後は右翼といわれていた先生がすでに左翼でも右翼でもなく、今西錦司氏の「棲み分け共生」という思想に深く共鳴されていることを知りました。このことはいつか詳しく書きたいと思っていますが、それはヨーロッパ的な一神教、一元論ではなく、全ての自然の中に八百万の神の存在を感じる日本人の自然観や感性、人間も自然の、大宇宙の一部であると説く仏教思想などから産まれてきた思想であり、ナショナリズムとも社会主義思想とも無縁の世界でした。</p>
<p>　１２月２２日付け読売新聞に佐伯啓思京都大学教授が「首相は思想的立場を明確に」という記事の中で<br />
「反米というのは単に米国が嫌いなのではなく「かなり信念をもった保守」か、あるいは”左翼”だ。保守はナショナリズムの観点から、左翼は昔の社会主義の建前から。反米主義は一つの政治戦略だが、首相にはその強烈な政治的立場も見受けられない」<br />
と言っているのを読んで大きな違和感を感じました。鳩山首相が右翼でも左翼でもないことを「思想的立場が明確でない」というのは私には時代錯誤と思われてなりません。ポスト冷戦の、多極化へと向かう今の世界に求められているのは、右や左のイデオロギーではないはずです。<br />
　例えばガンジーの政治思想が右翼でも左翼でもなく、インドで産まれた仏教思想やヒンドゥーの思想などに基づいた、そして絶えざる真理の探究の末に形作られたもっと普遍的なものであるのは明らかです。<br />
　但し鳩山首相がその思想に基づいた政策を信念と堅固な意志をもって推し進めようとしているかどうか、という点に関しては私も大いに物足りなさを感じているのですが。</p>
<p>　最後にガンジーの二つの言葉を掲げます。</p>
<p>「狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、自由と民主主義の聖なる名のもとで行われるかということが、死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか」（自叙伝　より）</p>
<p>　叉第二次大戦中の日本に対しては、<br />
「私は、あなたがた日本人に悪意を持っているわけではありません。あなたがた日本人はアジア人のアジアという崇高な希望を持っていました。しかし、今では、それも帝国主義の野望にすぎません。そして、その野望を実現できずにアジアを解体する張本人となってしまうかも知れません。世界の列強と肩を並べたいというのが、あなたがた日本人の野望でした。しかし、中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって実現するものではないはずです。あなたがたは、いかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない。ただ、剣にのみ耳を貸す民族と聞いています。それが大きな誤解でありますように。<br />
　　　あなたがたの友 ガンディーより<br />
（１９４２年７月　「すべての日本人に」と題された公開文書より。以上Ｗｉｋｉｐｅｄｉａ　マハトマ・ガンジーより引用しました）</p>
<p>　</p>
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		<title>「東アジア共同体」を考える</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Dec 2009 01:39:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　何度かこのホームページで書いてきたように、政権交代の直前まで、それほど民主党に期待していたわけではありませんでした。民主党のマニフェストに真っ先に掲げられている政策には「ばらまき」が目立ち、日本にとって政権交代は必要だ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　何度かこのホームページで書いてきたように、政権交代の直前まで、それほど民主党に期待していたわけではありませんでした。民主党のマニフェストに真っ先に掲げられている政策には「ばらまき」が目立ち、日本にとって政権交代は必要だが、それによって日本が私が望ましいと思っているような方向転換を行うことはないだろう、と半ば諦めていました。<br />
　「日本の蘇生」の中で日本の変革の先頭に立つことになっている大久保利夫が<br />
「二〇一〇年の結党のときには、他の政党に属していたり無所属で活動していた議員たちが随分馳せ参じたようですね」<br />
という質問に答えて、<br />
「既に二大政党体制はできていましたが、まだまだ日本はアメリカから独立すべきだと公言することは、政界ではタブーだったし、どちらが政権を取っても、対米重視は揺るぎない基本政策でした。」<br />
と語る箇所があるのですが、これが私が本を書いていたころの感じ方でした。<br />
　だから「鳩山論文」に掲げられた、アメリカ発の市場原理主義の否定」「アメリカとドルの覇権の翳り」「アメリカからの自立」「アジア共通通貨を視野に入れた東アジア共同体構想」などはようやく日本にも起こるかもしれない変化の兆しであり、「戦後体制の終焉」が近づきつつあるのかもしれない、という期待を抱かせるものでした。<br />
　おそらくこれらの政治課題は、大きな世界史の流れのなかで徐々に実現に向かって動いて行くことであり、今日本は二国間の軍事同盟から多国間の安全保障体制へと移行して行く過渡期にあるのだと思いますが、それにしてもゲーツ国防長官やキャンベル国務次官補といったアメリカの政府高官たちの、普天間移設問題等に関する露骨な脅しや、「日本が厄介なことを言い出した」というアメリカのメディアの論調とそれに過剰に反応し、「アメリカを怒らせたらとんでもないことになる」と大騒ぎする日本のマスコミや世論には驚かされます。浮き足だった鳩山総理や岡田外相及び内閣の人々がそれぞれに矛盾した発言を繰り返し、普天間移設問題は収拾のつかない混乱状態にあります。</p>
<p>　政権交代しても軍事・外交は変更しないのが国際政治のルールだと、アメリカも日本のマスコミや対米従属至上主義の人々も声高に主張していますが、実際には政権が交代して、その国の外交政策が大きく方向転換するのはよくあることです。<br />
　２００４年、スペインでは民衆党のアスナール政権から社会労働党のサパテロ政権に交代して、公約通りに直ちにイラクからの撤兵が行われました。２００７年オーストラリアではやはりイラクからの撤兵を公約に掲げて選挙戦を戦った労働党のラッド書記長がハワード率いる自由党から政権を奪い、イラクからの段階的な撤兵を始めました。背景には人々のイラク戦争への強い怒りがありました。無論大きな外交上の政策転換は国民の支持なくしては不可能です。<br />
　オバマ政権はオバマ大統領就任直後にポーランドとチェコへ弾道ミサイル迎撃システムを配備するミサイル防衛計画の中止を決定しました。それはオバマ大統領の「対立から対話へ」の外交政策のチェンジを印象づけるものでした。<br />
　<br />
　先日旧知の、私共のパリ時代には喧々愕々議論していた元自民党参議院議員の某氏と会う機会があったのですが、<br />
「鳩山は分かってない。外交というのは軍事力なんだ。アメリカを怒らせてアメリカが日本から出て行ったらどうするつもりなんだ。そうなったらもの凄い軍事費がかかる」<br />
とお怒りでした。余りに確信に満ちているので反論しても無駄、と思い、<br />
「でも日本の防衛予算はすでにかなりの額じゃないですか。たとえばドイツなんかと比べてどうなんでしょう」とだけ言ったら<br />
「そりゃドイツは日本より少ない。でも集団安全保障なんてあてにならない」というお答えでした。<br />
　これはいわゆる保守系の政治家先生たちが広く共有している確固たる認識であり、多分鳩山総理も岡田外相もこのような論理で攻め立てられているのだろう、と感じました。「日本はアメリカの軍事力に守られることによって戦争に巻き込まれず、驚異的な経済成長を遂げることができた。そのコストを日本が負担するのは当たり前。アメリカからの自立などというのは非現実的な「ねんね」の理想論にすぎない」。<br />
　そのコストが一般的に考えられているより遙かに大きいことは、例の「密約」問題でも見られるように、明らかなのですが。<br />
　<br />
　明治維新の時に極端な欧化政策を取ったのも、戦後アメリカから与えられた民主主義の意匠を嬉々として受け入れ、占領が終わった後もアメリカに多くの基地を提供し、アメリカの核の傘に守られながら経済的な繁栄を謳歌する一方で、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、戦争漬けとなったアメリカの全ての戦争に基地や物資やお金を提供して加担してきたことも、自主外交を放棄し、冷戦後アメリカが仕掛け結果として「第二の敗戦」といわれる事態に至ったアメリカの「日本改造計画」に対して政治家も官僚も本気で抵抗した形跡が見られなかったこともすべて、仕方がなかった、ということになるのかもしれません。<br />
　もしアメリカの覇権が磐石であり、その軍事力と情報力とドルという世界の基軸通貨によってアメリカが一国行動主義を継続出来るのであれば、たとえアメリカの植民地に甘んじようとも日米同盟を絶対視するのは日本にとって一つの選択肢であろうとは思います。しかし「多極化とはなんなのか」で書いたように現在世界は激動期にあり、その中で顕著になってきたのはアメリカの覇権の衰退であり、地域統合の動きです。そしてドルと金の交換を停止したいわゆるニクソンショック以降もいくら刷りまくってもドルを世界で黄金の如く通用させてアメリカの覇権を支えていた「原油のドル建て表示・決済」が揺らぎ初めています。<br />
　日経ネットの国際ニュース　によれば、「１０月６日のイギリス　インディペンデント紙は、シドニー発のロイター電として 、『アラブ湾岸諸国が原油取引での米ドル利用を中止し、通貨バスケット建て取引移行に向け、ロシア・中国・日本・フランスなどと極秘に協議していると報じた』と報道。サウジやクウェートが慌てて否定するという一幕があったが、１０月２１日にはカタール副首相が、『原油ドル建ての見直しは継続中』と発言したとカタール国営通信が伝えた」とのことでした。<br />
　最初に原油のドル建てをユーロ建てに切り替えたのはあのイラクのフセイン大統領でした。アメリカが初めから無いと分かっていた大量破壊兵器を口実に先制攻撃論を唱えて国民を欺きイラク戦争を始めた理由は色々あると思いますが、これがその一つだったことは想像に難くありません。<br />
　２００８年以降はロシア、イラン、ベネズエラが原油の決済をドル以外でも行っています。<br />
　日本も原油を円建てで買える日が近づきつつあるのかもしれません。そして基軸通貨がドルだけでなく、ユーロ、ハリージ（湾岸共通通貨）、エキュ（アジア共通通貨）と多様化すれば、外貨準備をすべてドルで保有して円高ドル安に怯えることもなくなります。<br />
　ドルが世界の基軸通貨でなくなった時、アメリカは果たして世界中に軍事基地を抱えて、「自由と民主主義」の大義名分の下戦争を行うことができるのでしょうか。</p>
<p>　言うまでもなく、日米同盟とは「日米軍事同盟」であり、莫大な予算と日本国内１４３箇所もの米軍基地は侵攻してくる「敵」を想定しているはずですが、そういう意味では冷戦下のソ連は申し分のない仮想敵国でした。ソ連と共産主義の脅威から日本を守る、という大義名分はそれなりの説得力がありました。しかし冷戦は終わり、仮想敵国は中国と北朝鮮、そして「テロリストたち」になりました。<br />
　その現在の日米同盟の最大の仮想敵国中国はいまや、Ｇ２として、アメリカと共に世界経済を牽引する存在と見なされています。中国は「我が国はまだ発展途上国である」として覇権国となることに躊躇しているようですが、今回のオバマ大統領のアジア歴訪でも最大の目的は中国との良好な二国間関係の構築であり、中国に責任ある大国としての自覚を促すことであったようです。</p>
<p>　今から３０年前、鄧小平の政治決断によって中国は市場経済の導入に踏み切りましたが、その基本原則は「先富論」といわれるもので「可能な者から先に裕福になれ。そして落伍した者を助けよ」（ウィキペディア）ということのようです。しかし現実には沿岸部と内陸部や個人間の格差が拡大したとよく指摘されますが、今後中国は人々の不満を抑えるためにも経済発展の恩恵が内陸部まで及んで行くような政策をとってゆく意向のようで、そのためには政治的な安定は不可欠です。<br />
　中国の外交をウォッチしていると、非常に多角的・全方位的です。<br />
　<br />
　一方の仮想敵国の北朝鮮ですが、私は個人的には韓国と北朝鮮の統一を心から願っており、私の本の中では二国は「朝鮮連邦」となっています。１７度線を境に同じ歴史と文化を共有する国が二つに分断されていることは冷戦構造の残滓であり、かつて三十数年に渡って植民地支配した日本にも統一に向けて協力する義務があるように思います。<br />
　北の核の脅威は確かに非常に厄介です。しかし日本の核武装があり得ないことである以上、この問題は中国・韓国との信頼関係を築きながら６ヶ国協議の枠組みで、あるいはアセアン諸国とも協力して、外交的・政治的に解決して行くしか方法はないように思います。</p>
<p>　「東アジア共同体」の先駆けをなすのは１９９０年マレーシアのマハティール首相が提唱した「東アジア経済圏構想（ＥＡＥＧ）」でした。現在のアセアン＋３（タイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ラオス、カンボジアの、ミャンマーを除くアセアン９ヶ国と中国・韓国・日本）の枠組みで、アジアに於ける通貨統合も含めた共通の経済圏の構築を目指したものでしたが、当時、日本の経済力はアジアでは突出しており、マハティールの構想は日本を中心に据えたものだったといわれます。しかし日本は「そんなものは絶対に認められない」というアメリカの強い怒りの前に参加を断念。この構想そのものもアメリカの反対で進展しませんでした。<br />
　その後１９９７年の「アジア通貨危機」の年、マレーシアで最初の「アセアン＋３日中韓）の会合が開かれ、その後は毎年、この枠組みの首脳会合が開かれるようになって、経済・文化・環境・エネルギーなど様々な分野での交流が活発に行われるようになっているようです。そしてアメリカも、世界的な多極化、地域統合の流れの中で、それを容認せざるを得ない状況のようです。<br />
　そして２００５年にはアセアン＋６（アセアン・日中韓にオーストラリア、ニュージーランド、インド）が初めて開催され、東アジアサミット　として定期的に開催されることになり、将来の東アジア共同体の枠組みが整いつつあります。<br />
　但し、これらの国々が将来的に集団安全保障を目指すかどうか、という話になると、今や「日本にとって日米同盟が最重要」と繰り返す鳩山総理も岡田外相も極端に慎重になっています。多分彼等も今はアメリカを過度に刺激しないほうがよい、と考えているのでしょう。<br />
　日本では中国への警戒心を持つ人が多く、たとえそれが屈辱的なものであろうが、アメリカに守ってもらうのが一番安全。アメリカの核の傘は日本に必要と思っている人が多いようです。オバマ大統領の核の廃絶に向けたプラハ演説が日本のメディアで大変冷淡に扱われたのも、そのような多くの人々の思惑を反映しているのだろうと思います。<br />
　けれども共同体の思想の根底にあるのは、その共同体に属する国同士が二度と戦争をしない状態を目指すということだと思います。そしてヨーロッパで人々が互いに敵対心を捨て、相互の不信感を乗り越えて「一つのヨーロッパ」を受け入れたのは、二度とあのような悲惨な戦争を繰り返してはならない、という人々の強い思いだったと思います。<br />
　<br />
　アジアはヨーロッパと違い、宗教も民族も様々で統合は非現実的、という人も多いようです。けれども、何度も書いてきたように、日本の際だった特色は多様な文化をしなやかに受け入れる柔軟性と、それを磨き抜いてゆく美的な感性だと思います。異文化間の「架け橋になる」将に日本にピッタリの役割ではありませんか。<br />
　といっても個人的には私は「緩やかな統合」がよいと思っていて、アジア合衆国を作る必要はないのではないか、と思っており、叉共通通貨は是非とも必要ですが、ＥＵの現状を見ていると、それを貿易決済通貨及び外貨準備の為の通貨に留めておく方がよいのではないかと思っております。</p>
<p>　「中国脅威論」については、中国を支那と呼び、戦前の日本の戦争を批判することを「反日」と称し、中国に対する警戒心を解けば中国はいずれ日本を併合する、とナショナリズムを煽る人々を説得する自信は私にはありませんが、これから私なりに冷静に考え、調べてゆきたいと思っています。<br />
　私はほとんど全ての日本文化の源となっている中国文明に深い尊敬の念と愛着を持っていますが、中国共産党や人民解放軍や今の中国社会についての詳しい知識はありません。<br />
　ただ、将来仮にアセアン＋３あるいは６という枠組みの集団安全保障体制が構築された場合、さらにはそこに、太平洋を挟んでアメリカやラテンアメリカの国々も加わってきた場合（ＡＰＥＣアジア太平洋経済協力機構という大きな枠組みもありますし）、経済発展のために政治の安定をなによりも重視し、貿易で経済成長を維持し、北米、中南米、中近東、ロシア、アジア、アフリカなど全方位的な国際協調路線を取り、ＷＴＯに加盟することを強く望んだ中国が突如、他の加盟国全てを敵に回し、世界の世論に逆らって、共に集団安全保障体制を構築している日本に侵攻する、ということは余りに非現実的なように思います。資源もない日本を占領したところで一体中国にどういうメリットがあるのでしょうか。<br />
　今の中国は、アメリカやＥＵ加盟国はもとより、例えばイラン、ベネズエラ、北朝鮮といった欧米社会から白眼視されている国々とも積極的な交流を持ち、またアフリカでは「欧米型の援助ではなく、投資を」というアフリカ諸国の要望に呼応して、積極的な投資を行って、アフリカにもようやく発展の気運が盛り上がってきているようです。それらは無論国益重視のしたたかな外交戦略であるわけですが、中国の長い歴史に根ざした「内政不干渉」の伝統をも感じられます。</p>
<p>　東アジア共同体というのはアメリカ支配から離れて中国の支配下に入ることであると考える人も多いようですが、二国間の軍事同盟と多国間の安全保障体制は違うのではないでしょうか。ＥＵのほとんどの国々は同時にＮＡＴＯ（北大西洋条約機構）にも加盟していますが、自国をアメリカの属国である、と感じている人はほとんどいないと思います。<br />
　<br />
　「日本人が尊厳を取り戻すためにはアメリカから自立し、憲法九条を改正して自前の軍隊を持つべきだ。核武装の可能性も排除すべきではない」という論調が明らかに勢いを増していますが、死者２０００万人以上といわれるあの第二次大戦という、日本もその責任の大きな一端を担う未曾有の大戦争が、広島と長崎に落とされた二発の原爆によって終わった時、大多数の人が、こんな事を二度と繰り返してはならない、と肝に銘じたのではなかったのでしょうか。そして今兵器は、劣化ウラン弾、白リン弾、クラスター爆弾等々さらに進化し、大量破壊兵器はその威力を増しています。</p>
<p>　日本にとって、戦後はまだ終わっていません。敗戦国日本が日米軍事同盟に縛りつけられている限り、対等な日米関係などあるはずがありません。真の日本を取り戻す為にも（そんなものはもう絶滅寸前なのかもしれませんが）明治維新の時に捨て去った、アジアの国という自らのアイデンティティーを取り戻すためにも、日本人は東アジア共同体構想とその先に見えてくるアジアの連帯の上に成り立つ集団安全保障に真剣に向き合うときではないでしょうか。<br />
　そしてその時、憲法九条をどのように考えるのか、このホームページでもじっくり考えてみたいと思っております。</p>
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		<title>多極化とはなんなのか</title>
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		<pubDate>Mon, 09 Nov 2009 01:08:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　はじめに　で書いたように私が最初に世界史の潮流の変化を感じたのは１９７８年中国で「改革・開放」が始まった時でしたが、実はそれより５年前の１９７３年に南米チリで、ある意味で世界史のターニング・ポイントとなる事件が起きてい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　はじめに　で書いたように私が最初に世界史の潮流の変化を感じたのは１９７８年中国で「改革・開放」が始まった時でしたが、実はそれより５年前の１９７３年に南米チリで、ある意味で世界史のターニング・ポイントとなる事件が起きていました。先回のブログで触れたように、アメリカＣＩＡが画策した軍事クーデターによって民主的に選ばれたアジェンダ政権が倒されたのですが、その後に軍事独裁政権を樹立したあの悪名高いピノチェトが推し進めた経済政策が、いわゆる市場原理主義（ネオリベラリズム）経済の最も初期の例だったと言われています。先回のブログで紹介した、宇沢弘文がシカゴ大学で目撃した一情景は将にその辺りの事情を物語っていたわけですが、私がこの事を世界史的に重要であると考えるのは、チリから始まってやがて他の中南米諸国へ、そして世界へと広がっていったネオリベラリズム経済によって社会を破壊された人々の怒りが、世界の多極化の一つの要因だったのではないか、と思えるからです。</p>
<p>　戦後アメリカの裏庭といわれ、アメリカの軍事的、経済的な介入を受け続けてきた中南米で、現在「反米大陸」といわれるくらいに、反米左派政権が増えて、脱アメリカの傾向を強めています。<br />
　１９９８年にはベネズエラで先住民族の血を引くチャベスが大統領に当選して、２００６年には三選を果たしています。<br />
　２００２年にはブラジルで貧しい労働者階級出身のルーラが大統領に当選し、２００６年に再選。<br />
　２００３年にアルゼンチンでキルチネル大統領。<br />
　２００４年にウルグアイでバスケス大統領。<br />
　２００５年には、チェ・ゲバラが、アメリカＣＩＡから武器の供給と兵士の訓練を受けていた軍事独裁のレネ・バリエントス政権下、ゲリラを組織してラテンアメリカをアメリカとアメリカの傀儡の軍事政権から開放するための戦いを始め、１９６７年に捕らえられ銃殺されたボリビアで、先住民インディオの末裔モラレスが大統領に当選。<br />
　２００６年には、チリでバチュレ大統領、コスタリカでアリエス大統領、エクアドルでコレア大統領。<br />
　そしてニカラグアではサンディニスタ民族解放戦線のオルテガ元大統領が１６年ぶりに大統領に返り咲きました。</p>
<p>　これらの国のうち、２０１６年のオリンピック開催が決まったブラジルはＢＲＩＣｓの一角として急速にその存在感を増していますが、１４９７年にポルトガルに「発見」されて以来、１９世紀末まで厳しい植民地支配を受けてきました。一部の富裕層を除く多くの「原住民」が金鉱や、砂糖、コーヒーなどのプランテーションなどで奴隷として使役されました。<br />
　１９世紀初頭にはナポレオン戦争を逃れてブラジルに留まっていたポルトガル王家による王政、ポルトガルから独立した後の帝政を経て、１９世紀末（１８８８年）ようやく奴隷制が廃止されて共和制へと移行し、ポルトガル王家がフランスに亡命してポルトガルによる支配は終焉を迎えました。<br />
　戦後ブラジルは憲法を制定して民主主義国家としてスタートしたのですが<br />
１９６４年３月、アメリカの支援を受けたカステロ・ブランコ将軍が軍事クーデターを決行、親米反共を掲げる軍事独裁政権を樹立します。この政権は１９８５年まで２１年間に渡ってブラジルを支配しますが、積極的に外資を導入し、その結果経済は一時的に活性化しますが、社会の格差が広がり、国は莫大な対外債務を抱えることになります。そんな苦難の歴史を経てきたブラジルが、労働党の、貧しくて充分な教育も受けられなかったルーラ大統領の下、オリンピックを開催する、ということは将にラテンアメリカの変化を、そして世界の多極化を象徴するものだと思います。</p>
<p>　これらの政権を支えているのは人々の「反米・自立」への強い志向であり、先住民としての意識の覚醒です。非常に長い間、原住民、先住民として徹底的に差別されてきた人々が今自分たちが本来持っている権利を取り戻そうとしています。この地域にある天然資源もようやく欧米や外資のためでなく、国民のために役立とうとしているようです。<br />
　以前はアメリカに全面的に頼るしかなかったこれらの国々がアメリカからの自立を志向できる背景には、アメリカの覇権力の衰えと、それと同時進行で起こっている世界の多極化、特に急成長する中国やインドなどの経済力があります。<br />
　これらの国々は叉互いに連携し、南米では２００４年からＥＵをモデルとした地域統合への動きも始まっています。１６世紀初頭以来西欧諸国の植民地となり、戦後はアメリカに主権を蹂躙されてきたこの地域で、５００年ぶりといってよい大変化が起きています。</p>
<p>　２１世紀に入って、多極化の勢いは加速しますが、その大きな要因はアメリカの「テロとの戦い」であり、イラクへの侵略でした。アメリカの掲げる一国行動主義は例えば今までお互いに警戒心を抱き合っていた中国とロシアを接近させて、ユーラシアに「上海協力機構」という多国間の安全保障と経済協力の枠組みを成立させました。日本のマスコミでは何故かあまり取り上げられることのないこの機構には、中国、ロシアとカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの中央アジア諸国が加盟していますが、それ以外にモンゴル、インド、パキスタン、イランもオブザーバーとして加盟しており、アジア諸国連合ＡＳＥＡＮも加盟申請中で、非米、非西欧、反米同盟の要素を持っており、世界の多極化の一要素となっています。 </p>
<p>　豊富な石油資源に恵まれ、アメリカの軍事力に支えられてきたペルシャ湾岸の６ヶ国（サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、オマーン）で構成される　湾岸協力会議（ＧＣＣ）は２００８年１２月に行われた首脳会議で、２０１０年までに単一通貨を立ち上げることを決定しました。それは湾岸諸国のアメリカからの自立の第一歩であるとともに、これまではすべてドル建てで取引されていた湾岸産油国の石油がドル以外の通貨でも取引される可能性を示唆しており、世界で始まっているドル離れを加速させる可能性もあります。<br />
 世界銀行のロバート・ゼーリック総裁が９月２８日、ワシントンで講演し、「米国が、世界の支配的な準備通貨であるドルの地位を当たり前だと思うのは誤りだ」と述べ、基軸通貨であるドルの地位が揺らいでいるとの認識を示した、という報道がありましたが、アメリカの覇権を支えていた要素の一つ、ドル覇権の終焉は、多くの日本人が考えているよりも早くやってくるかもしれません。<br />
　かつてオスマン帝国の支配下にあった中東のイスラム諸国は帝国の解体後、主にイギリスの策謀によって不自然に分断され、地域紛争を繰り返してはアメリカの介入を招いてきました。アメリカのイラク戦争が中東の人々の中に呼び覚ました反米感情や同胞意識は徐々にこの地域を変貌させているようです。</p>
<p>　そのような変化の兆しはトルコにおいても顕著です。<br />
　東欧、バルカン半島、エジプト、イランを除く中東の全域を支配していたオスマン帝国の発祥の地トルコは１９２２年、帝国の崩壊後、ケマル・アタチュルクの指揮の下、イスラムの影響を廃した世俗主義的な国民国家としてのトルコ共和国を建国し、明治維新を規範として国家の近代化と西欧化を図りました。いわば脱イスラム入欧を図った訳ですが、そのトルコでも近年人々の間にイスラムへの回帰現象が起こっている、という指摘をよく目にします。<br />
　田中宇氏が１０月２１日に配信した記事の中で、トルコ政府が１０月１１日に行われる予定だったＮＡＴＯ諸国やイスラエルとの、自国の空軍基地を舞台にした合同軍事演習に際して、今年１月のガザ戦争で使った軍用機を派遣してきそうなイスラエルの参加を拒否。結局演習は中止された、というニュースを紹介していました。その後トルコ政府はシリアとの合同演習を行ったとのことですが、田中氏は<br />
「トルコ政府の行動は、米イスラエルとの同盟関係を解消して周辺イスラム諸国との関係を強化しようとする国家戦略の大転換を内外に意識的に示そうとするものと感じられる」<br />
と書いています。アメリカのイラク戦争や今年１月のイスラエルによるガザ攻撃の際、民間人を無差別に殺傷したイスラエルの残虐非道さに怒るトルコの人々の国民感情に政府が配慮せざるを得なくなっているようにも感じられます。そしてそれは今世界中で起こっている価値観の大転換を象徴しているように思われます。</p>
<p>　アフリカでは２００９年７月にリビアで行われた　第１３回アフリカ連合（ＡＵ）首脳会議で、リビアのカダフィ大佐が持論の統一政府を持つアフリカ合衆国構想を提唱しました。<br />
　この会議の直前に行われた第１５回アフリカ連合（ＡＵ）行政評議会開会の演説の中ででカダフィ大佐は<br />
「統一政府こそが、グローバル化の課題や貧困と戦い、西側諸国の介入抜きに紛争を解決する唯一の方法である」。<br />
と語っていますが、そこには、何故アフリカで貧困や飢餓が無くならないのか、紛争が多発するのか、というカダフィ大佐の問題意識が透けて見えます。<br />
　ウイキペディアのアフリカ連合に関する記述の中に、<br />
「２００８年、カダフィ大佐の特使として来日し、福田康夫首相（当時）に大佐からの親書を渡したシアラ副外相は、親書の中で、アフリカ合衆国構想を日本が支持すれば、リビアの油田鉱区の開発権益などを日本企業に開放する考えを示した。」<br />
とありましたが、西側諸国のように、アフリカの国々で対立を煽り、武器商人を送りこんで双方に武器を売り渡して戦わせ内戦を引き起こす、といったことをやってこなかった日本に対するアフリカ諸国の信頼と期待は大きなものがあると思います。<br />
　一握りの人々を自分たちの側に取り込んであとの大部分の人々を搾取するという、欧米の植民地経営の伝統的な手法はまだアフリカでは生きているようです。けれども、アフリカも覚醒しようとしています。アフリカで多発する内戦や貧困・飢餓の撲滅のためには、本当は何をなすべきなのか。<br />
　アフリカにしがらみのない日本が出来ることは色々あるのではないでしょうか。<br />
　またカダフィ大佐は首脳会議の閉会式の演説の中で<br />
「我々はアフリカ連合（ＡＵ）が国連安全保障会議常任理事国に加えられる権利のあることを繰り返し表明したい」。<br />
と述べていますが、現在の、核を保有するアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五ヶ国が安保理の常任理事国として拒否権を持つ、という国連の安全保障理事会の在り方は多極化する世界の現状にあわなくなってきており、これから改革が議論されて行くことと思われます。</p>
<p>　多極化とは、世界に於ける様々な価値観の多様化を意味しており、それが「文明の衝突」に至らないためには、それぞれの価値観をお互いが認め合う「共生の思想」が求められます。<br />
　弱肉強食から棲み分け共生へと向かわねばならないこれからの世界で、様々な文明を受容し、磨き上げ融和させてきた日本の役割が今後大きくなってゆくのではないかと考える所以です。<br />
　鳩山総理の掲げる、異なった文明、先進国と途上国の間に「橋を架ける」という理念はその具体的なイメージとして尊重されるべきものだと思うのですが、日本が眼前の様々な困難を乗り越えてこのような高邁な理想を実現出来る日が来るのか、あるいは単なる理想、ユートピアに終わってしまうのか。それはおそらく私たち一人一人の国民としての課題でもあると思います。</p>
<p>　鳩山総理や岡田外相の掲げる「対等な日米関係」の実現が、対米従属意識が骨の髄まで染みこんでいる日本で如何に難しいか。私どもは今思い知らされています。<br />
　普天間基地移転問題でアメリカが不快感を示すのを見てうろたえ、大混乱に陥っている姿は私としては実に情けない、と思うのですが皆様どのように感じておられるのでしょうか。</p>
<p>　次回は、鳩山総理が提唱する「東アジア共同体構想」と集団安全保障体制構築の可能性について、そしてインドを含めたアジアの現状について考えてみたいと思います。</p>
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		<title>Ｔｈｅ　政権交代３　－　日米同盟の光と影</title>
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		<pubDate>Tue, 13 Oct 2009 09:47:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[歴史・文化・政治のコーナー]]></category>

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		<description><![CDATA[　実はブログを立ち上げようと思った時考えていたのは、歴史を振り返りながら少し距離を置いて現実に起こっている事を考える、というスタンスでした。私が夢想しているような日本の在り方はまだかなり先の話と思っていた訳ですが、ホーム [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　実はブログを立ち上げようと思った時考えていたのは、歴史を振り返りながら少し距離を置いて現実に起こっている事を考える、というスタンスでした。私が夢想しているような日本の在り方はまだかなり先の話と思っていた訳ですが、ホームページ公開直前に鳩山代表の論文を読んで、この戦後初の本格的な政権交代によって生まれた政権に期待する気持ちになりました。<br />
　このホームページで何回も書いてきたように、今は世界の大変動期であり、日本にとっても明治維新以来の国の歪みを改め、方向転換をしながら、豊かな未来に向かって再スタートを切るチャンスが到来しているのだと思います。そして今民主党が始めたばかりの様々な変革ー脱官僚依存や地方への財源の移譲を伴った地方分権、アメリカからの自立、東アジア共同体構想等々は、いつか日本が行わなければならない方向転換であり、その時代認識を出来るだけ多くの国民が共有しなければ、本当の意味での改革は何時までたってもこの国には不可能です。<br />
　例えば、民主党の政策には経済の成長戦略がない、という意見をよく目にしますが、成長戦略とは、ただ予算をばらまいて小手先の景気浮揚を図ることなのでしょうか。<br />
　例えば東アジア共同体、そしてその先にあるアセアン諸国も含めたアジア共同体構想は、長い目で見れば大きな日本の成長戦略ではないでしょうか。２１世紀はアジアの世紀といわれますが、現在既にいわゆるボリュームゾーンといわれる中産階級が８，８億人いるといわれるアジアは日本にとっては今後益々巨大な市場となるでしょうし、アジアの国々に日本の優れた技術を移転しながら成長を助け、また成長に伴う環境問題に率先して取り組めば、それは日本の豊かな未来へと繋がり、なによりも日本の安全保障になると思います。<br />
　そこで今回も、Ｔｈｅ　政権交代。岡田外相の深夜の会見を聞いて書こうと思った日米関係の負の部分を考えながら、自立への道を模索してみたいと思います。</p>
<p>　日本は１９５１年のサンフランシスコ講和条約によって国際法上は独立国となったわけですが、その後も私共が一般的に考えている以上にアメリカによる間接統治は続き、そして例の「密約」に象徴されるように、日米関係には常にある不透明さが漂よい、アメリカの圧力の下国益に反する決定が下されても国民には秘されてきました。</p>
<p>　日米関係の光の部分に関しては、今更書くまでも無いと思います。<br />
　世の右傾化の流れの中で、「日本はルーズベルトに引っかけられて太平洋戦争に引きずり込まれた」とか、「占領軍が行った「ウォーギルト・インフォメーション・プログラム」（戦争についての罪の意識を日本人に植え付ける宣伝計画 ）は、ひょっとしたら原爆よりもヒドイかもしれない。その結果、日本人は独立自尊の精神や愛国心を失った」などと主張する人々がいますが、私は世界史上これほど寛大な占領軍はなかったと思っています。<br />
　占領軍として日本に来た人々の中には、民政局を中心に、民主主義の理想に燃え、公正・公明な精神を持ったヒューマニスト達が大勢いました。彼等の目から見れば戦前の日本は集団発狂したような状態であり、軍部独裁から人々を解放する、というのは彼等の使命感だったと思います。</p>
<p>「例えば、苔むして、鬱蒼と木の生い茂る庭園と家屋。家は一応西欧風を真似て近代的な体裁を整えてはいるが、そこには軍閥や財閥や家長制度に基づく封建制といった魑魅魍魎が跋扈している。神道や武士道や大和魂といったきな臭い亡霊も住み着いている。それらを注意深く取り払い、あるいは封印し、整地をして、そこに民主主義という名の、風通しがよく、清潔で住み心地のよい家を建てて、日本人に与える。日本人は大いなる開放感と共におおむねその家の快適さに満足したのである」</p>
<p>　私は「日本の蘇生」でこのように書きましたが、もちろんそこに、真に日本的なるものが破壊されてしまったという嘆きを込めたつもりですが、占領軍は日本人に英語やキリスト教を強制することも、強制労働に駆り立てることもなく、賠償金も要求しませんでした。それは欧米諸国が非西欧の国を統治するかたちとして、世界史的に見て画期的なものだったと思います。<br />
　その占領政策はおおむね、１９４１年８月、アメリカの参戦を求めるイギリスのチャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領によって調印された大西洋憲章の精神に則って行われたと言ってよいと思いますが、その全文を読んでみるとそこに両国、とりわけイギリスから覇権を引き継ごうとしているアメリカの大統領ルーズベルトが、戦争終了後の世界の平和と安定のために描いた新たな世界の在り方への理念と構想が語られています。<br />
　その第４項に 、<br />
「両者は、大国たると小国たるとを問わず、また、先勝国たると戦敗国たるとを問わず、すべての国に対して、その経済的繁栄に必要な世界の通商および原料の均等な開放がなされるよう努力する」<br />
とありますが、日清戦争以来、資源の確保や経済ブロックの構築の為に獲得した植民地をすべて失った日本が、「通商と原料の均等な開放」を享受することによってあっという間に経済大国に発展し得たということは、この条約が目指した世界の在り方がある程度実現された、ということであり、それはある意味で帝国主義の終焉をも象徴するものであったと思います。</p>
<p>　尤もＧＨＱには元々、民主主義推進派の民政局と諜報・保安・検問などを担当する参謀第二部との間に、占領政策をめぐって対立があったと言われます。そして東西の対立が激化する過程で次第に民政局はその影響力を弱め、１９５０年、朝鮮戦争を境に、アメリカは様々な意味で変質してゆくことになり、東西冷戦下の世界は残念ながらフランクリン・ルーズベルトの描いた理想像のように、諸国民が自由と民主主義を享受し、戦争のない世界で豊かに平和裡に生きる、というわけにはいきませんでした。そしてその原因の大きな部分はアメリカにありました。軍産複合体やＣＩＡなどの組織が肥大化したアメリカは数々の戦争を引き起こし、軍事クーデターを画策してしばしば民主的に選ばれた政権を倒し、独裁者を生み出しました。</p>
<p>　私がことアメリカに関しては日本の言論の自由は非常に制約されている、と感じるようになったのは、実は２００３年以降、インターネットの情報に接するようになってからでした。<br />
　例えば、アメリカの推し進める市場原理主義に基づくグローバリゼーションによって世界で、アメリカで何が起こっていたのか。どうしてアメリカの裏庭といわれる中南米で、ベネズエラのチャベス政権、ブラジルのルーラ政権、アルゼンチンのキルチネル政権等の反米左派政権が次々と誕生したのか 。何故サミットやＷＴＯ等の国際会議が開かれる度に怒った人々が会場を取り囲むのか。アジア通貨危機とはなんだったのか。<br />
　毎日テレビのニュースを見ていたのでは分からない事が少しづつ理解出来るようになってゆきました。小泉改革の掲げる、小さな政府、官から民へ、規制緩和、といった政策はＩＭＦや世銀、ＷＴＯといった機関を通してアメリカが世界の、特に発展途上国に押しつけてきたワシントンコンセンサスそのものであり、すでにアメリカを含む世界の至る所で格差を拡大し、医療や福祉などの社会保障制度を破壊し、社会を不安定にしてきました。つまり小泉改革を推し進めれば日本社会がどのような社会になってゆくか、事前に予測できたことでしたが、このような事実にマスコミは沈黙し、「小泉改革」を後押ししました。</p>
<p>　そして２００４年に出版された関岡英之の「拒否できない日本」を読んで、近年の商法、司法、金融、流通。医療制度などの分野の法改正や制度変更が、１９９４年からアメリカによって毎年提出される「年次改革要望書」に示されてきたアメリカの要求に添って行われているということや、郵便事業の民営化はアメリカがこの要望書の中で１０年も前から要求し続けていて、特に簡保の完全民営化はアメリカ保険業界からの強い圧力がある、ということを知りました。それは安定した日本の社会を確実に破壊してきており、自国の政府が国益を無視してアメリカの「要望」を受け入れてきた、ということに強い衝撃をうけました。<br />
　小泉内閣の５年間、こういった情報は大新聞やテレビなどのマスメディアでは殆ど封印されていたと思います。マスコミも学界も経済界もアメリカの意に反するようなことを発信するのになぜこれほど慎重かつ臆病なのか。<br />
　電通のメディア支配、視聴率や発行部数を稼ぐためのマスコミの大衆迎合、など様々な要素があると考えられましたが、私はそこにアメリカの隠然たる支配を強く感じるようになりました。</p>
<p>　アメリカには国立公文書館に収められた国家の機密文書を三十年後に機密解除する、という法律がありますが、二〇〇六年、アメリカ国務省が刊行した外交資料集の中に、アメリカ中央情報局ＣＩＡが、一九五八年から十年間にわたり自民党や社会党右派に多額の資金援助をしていたという記述がありました。その文書によればＣＩＡの秘密工作は、</p>
<p>　　自民党主要政治家への財政支援と選挙アドバイス<br />
　　親米で「責任ある」野党育成に向けた野党穏健派の分断工作<br />
　　極左勢力の影響力排除のための広報宣伝活動<br />
　　同様の目的による社会各層の有力者に対する「社会活動」</p>
<p>　とありました。つまりＣＩＡの資金は政治家たちばかりではなく、「社会各層の有力者」たちにもばらまかれ、ＣＩＡの工作の対象になっていた訳で、ＣＩＡから資金提供を受けたエージェントが、政界はもちろんのこと、官界・経済界・学者たち・マスコミなどに網の目のごとく配置されている、というよくいわれる話には信憑性があるのだと感じました。それが自民党という従米一辺倒の党がこれほど長く政権の座に留まることができた主要な要素だったと思います。</p>
<p>　１９８０年代までの激しい日米貿易摩擦問題がプラザ合意を境に一見沈静化して、貿易黒字を生む日本社会の構造そのものを変えるように迫る日米構造協議が始まり、その頃を境に日本の財政赤字も増え続け、いまや世界最悪といわれる水準に達しているわけですが、その発端が１９９０年６月に日米構造協議の最終報告書の中でアメリカが日本に要求した内需拡大要求であった、ということ、具体的には１０年間で４３０兆の公共投資を行うように要求してきた、ということは、石原慎太郎氏を初め多くの人が指摘していることです。<br />
「世界」５月号、東大名誉教授宇沢弘文氏と経済評論家内橋克人氏の「新しい経済学は可能か」という対談の中で宇沢氏が、<br />
「日米構造協議が開かれましたが、実はアメリカの商工業者の団体が原案を作成し、アメリカ政府がそれに基づいて日本政府に要求と交渉をするというとんでもないもので、一番の焦点は（アメリカの）経常赤字と財政赤字が膨らみ、非常に混乱した時代のなかで、日本政府に対して10年間で430兆円の公共投資をしろという要求でした。しかもその公共投資は日本の経済の生産性を上げるために使ってはいけない。まったく無駄なことに使えという。信じられない要求でした」<br />
と指摘しています。　日本政府はそれを地方自治体に全部押し付け、地方自治体はレジャーランド建設のような形で、生産性を上げない全く無駄なことに計430兆円を使う。そのために地方債を発行し、その利息の返済は地方交付税でカバーしていたのが、小泉政権になって地方交付税を大幅に削減してしまったために、地方自治体が第三セクターでつくったものは多く不良債権になり、それが自治体の負債となっていまだに残っている。そして財政難を理由に地方の、たとえば公立病院などの行政サービスがどんどん切り捨てられている、と語り、<br />
「日本は完全に植民地というか……属国ならまだいいのです。属国なら一部ですから。植民地は完全に搾取するだけのものです」<br />
と嘆いておられます。</p>
<p>　宇沢弘文氏は、あのノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学教授ジョセフ・スティグリッツもその高弟といわれ、ご自身もその若い頃の研究で日本でノーベル経済学賞に最も近いといわれてきた老碩学ですが、この対談の中で、<br />
シカゴ大学の教授をしていた１９７３年、チリで民主的に選ばれたアジェンデ政権がピノチェトの軍事クーデターによって倒された、というニュースを、シカゴ大学のフリードマン派の人々が拍手喝采で喜んだ、という話を語っているのが印象的でした。今ではアメリカでもＣＩＡの工作であったと認められているこのクーデターは民主主義を高く掲げながら実は世界各地で民主主義を阻害してきた戦後のアメリカの在り方を象徴する出来事であったと思います。</p>
<p>　日本の権力者たちには常にアメリカに対する恐怖心があったように思います。アメリカに逆らったら日本は生きて行けない。何をされるか分からない。<br />
　鳩山政権の従米脱却路線に対しても様々な懸念の声があり、また普天間基地移転問題を初めとして、政権側にもブレが見られます。けれでもやっと巡ってきたチャンス、私共国民は、いつまでもアメリカの植民地であることに甘んじるわけにはいかないと思います。<br />
　オバマ大統領に与えられたノーベル平和賞には世界の人々の平和への願いが託されています。世界が平和になるためにはまずアメリカが変わらねばならず、そのアメリカに１４３ヶ所もの基地を提供してアメリカの戦争に加担してきた日本の在り方そのものも変革を迫られています。その国民の思いこそがアメリカからの自立という困難な仕事を可能にするのだと信じます。</p>
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