日本の蘇生日本の蘇生

歴史を見つめ 未来を考える 一市民としてこれ以上日本が壊れて行くのを見過ごすことはできない

ホームはじめにプロフィールに代えて「日本の蘇生」で描いた2030年の「この国のかたち」ブログメール

プロフィールに代えて

 「日本の蘇生」の まえがき で私は幼い頃からこの本を書くに至るまでの簡単な自分史を書きました。
 旧制高校で所謂デカンショ(デカルト・カント・ショーペンハウエル)等の西欧哲学に親しみマルクスの資本論に傾倒した父、ミッションスクールに通い、情緒的にキリスト教に染まり、欧米の文学や映画を好んだ母。そんな明治維新以来の「欧米コンプレックス」的な家庭環境の中でごく自然に「西欧への憧れ」を抱くようになり、若い時はひたすらヨーロッパ文明の方ばかりを向いていた私がある時期から少しづつ日本人として、東洋人としてのアイデンティティーに目覚め、日本の歴史や文化の独自性や美の世界に魅了されて行く。そして現代の日本がそれらのかけがえのないものを失いつつあることに気づく・・・。
 それは多分明治維新以来多くの日本人が辿ってきた過程なのかもしれない、と私は思うようになりました。

 私は今でも勿論西欧の文化や芸術に深い愛着を持っています。
 ただこれからの日本は欧米流の歴史観や秩序や様々なシステムをただやみくもに受け入れるのではなく、アメリカの支配からの脱却を図りながら、日本の歴史や伝統や風土に根付いた国の在り方を求めて行かなければと思います。私達はいま様々な意味で大きな転換点にさしかかっているのだと思います。

日本の蘇生 まえがき

 疎開先や引っ越し先を転々として、僅かに本棚に残された父の蔵書のほとんどは翻訳物だった。デカルトの『方法叙説』、アンドレ・ジードの『アンシダンス』、そしてマルクスの『資本論』・・・。
 押入には古ぼけた蓄音機と数枚のSPのレコードがあった。小学生の頃、私は時々蓄音機を引っ張り出して、トスカニーニの振るベートーベンやシューベルトの音楽に耳を傾けた。レコードのほのかに湿り気を帯びた独特の匂いと共に、トスカニーニの深く劇的な演奏はよくわからぬながらも私の心に残った。
 わが家には仏壇も神棚もあったのだが、ミッションスクールを出た母にとって、クリスマスは大事な行事だった。冬休みに入ると皆でツリーを飾り、賛美歌を歌った。クリスマスイブの晩には、母が毎年焼いてくれる鳥の丸焼きを食べながら、「明日はイエス様がお生まれになった日」とひどく敬虔な気持ちになったものだった。
 そんな少女が東洋よりもむしろ西欧的な世界に惹きつけられていったのは、自然の成り行きであったように思う。一九五九年二月十三歳のとき、たまたまテレビでNHKの招聘した第二次イタリアオペラのヴェルディ作曲「オテロ」の初日の舞台中継を見て、私は番組を見る前と後とで世界が違って見えたほどの衝撃を受けた。とりわけタイトルロールを歌うテノールのマリオ・デル・モナコに私は魅了された。そして、その日を境に私の青春は「西欧への憧憬」一色に染まってしまった。
 私は大学でフランス文学を学び、卒業した年の一九六八年夏、まだパリの五月革命(L’evenement de mai)
の余韻醒めやらぬパリに行き、一年半の間滞在した。それはあれほど憧れていたヨーロッパの自然と芸術に直接触れ、また、フランス精神の精髄であるフランス語を習得することができた幸せな期間だった。そして、エジプトとアテネに立ち寄って日本に帰る飛行機の中で、私は一つの感慨にとらわれていた。「私にとって、ひたすら西欧に憧れた時期がこれで終わった」
 帰国してから結婚するまでの期間、私が最も傾倒したのは茶道だった。鎌倉山の林柳秀先生の下に通った三年間、先生の茶室に和服を着て座っているとき、私は現代日本の喧噪と醜悪さを忘れ、日本文化の類いまれな美の世界に遊ぶことができた。
 林先生は単なる所作や知識だけでなく、茶道を成り立たせている日本人の死生観と魂の高貴さ、そして、茶室という小宇宙で五感を研ぎ澄ませてすべてを味わい、四季の移ろいを感じ取ることの大切さを教えてくださった。西欧かぶれの私の中に、束の間流れ込んできた日本文化の精髄だった。本文で、私はフランス人ジャーナリストのアラン・ジュヴィエールに「一杯の茶を飲むという、どの民族も生活の中に持っている習慣を、ここまで儀式化し芸術にまで高めた人々を、私はほかに知らない」と言わせているが、これは私が茶道に対して抱いた感慨であり、私のスタンスは日本文化に憧れる外国人のそれに近かったように思う。
 結婚して子育てに熱中する日々の中でも、時折私は自分の教養の偏りをいぶかしく思うことがあった。長男が十二歳になった頃、娘と三人で親子旅行をしたが、熊本城を見学していたとき、息子が言った。
「ここが西南戦争の最後の戦場になった所だね」
「西南戦争って何?」
「ママ、西南戦争も知らないの?」
 息子は心底驚いたように私を見た。そして、説明してくれた後でませた口調で言った。
「日本の武士階級の最後の輝きさ」
 息子を驚かせた、私の日本史に対する無知蒙昧ぶりにわれながら呆れて、これじゃいけない、という気持ちが募ったが、私は四十を過ぎた頃から目が不自由になって、満足に活字が読めない状態だった。それから七年後の一九九六年、私は点字図書館の音読図書の存在を知った。
 司馬遼太郎、吉川英治、子母沢寛・・・・
今までないがしろにしてきた日本史を身近なものとして感じたい。私は手当たり次第に歴史文学のテープを聞き漁った。そしてしみじみと感じたのは、一言で言ってしまえば「品格ある人々の佇まい」だった。そして、司馬遼太郎の最高傑作『坂の上の雲』に漂う、あの叙事詩的な風格が、江戸時代の価値観と倫理観によって育まれた人物たちによって醸し出される、言わば江戸時代の残照であることを知った。
 司馬遼太郎の随筆「この国のかたち」を聞いてから、私は現在の日本の歪みを正し閉塞感を打破して、尊厳と活力を取り戻すにはどのような「国のかたち」がよいのだろう、としきりに考えるようになった。
 そして、音読テープを聞き、インターネットでさまざまなことを調べるうちに、われわれは今、世界史の大変動期に差し掛かりつつあるのではないか、と思うようになった。ならば日本の変革も、その大変化の中でとらえなければならないだろう。
 この本は、二〇三〇年の日本をフランス人ジャーナリストが訪れて、Aujourd, hui誌のために、改革に携わった人々へのインタビューを行うというかたちをとっている。
 そして第一部では、ジュヴィエールが二〇三〇年の日本を取材することになったいきさつと、日本を愛してやまなかった彼の妻カトリーヌのことを多少小説風に書き、フランス人の日本に対する予備知識として日本の歴史を書いた。西南戦争も知らなかった私が、日本史を書くなどおこがましい限りだが、ここ十年ほど、ちょうど一人のエトランジェetranger(異邦人)のように日本を学んできた私は、外国人の視点から日本史を書くことによって、ヨーロッパと違う日本史の独自性と内包する価値観を考えてみたかったのである。
 日本の現在も未来も、どこかでその価値観を継承していることが望ましいのではないだろうか。
 なぜ二〇三〇年なのかには大した根拠はないが、これを書き始めた二〇〇五年から四半世紀。私は何とかそれまで生き延びて、世界が「棲み分け共生」の中に調和し、日本が真にこの国らしさを取り戻す姿を見てみたいと思う。
 ここで述べられていることは、世界と日本の未来への予測ではなくて「希望」である。その内容は本書を読んでいただきたいのだが、あまりにも楽天的過ぎる、と感じる方も多いことと思う。
 けれども、作中大久保利夫が語る、

「かつて長い間武士道の倫理観を社会が共有していた日本では、腐敗や汚職のない政治は可能なはずだ。多くの日本人がこの想いを共有したときから日本の蘇生は始まるだろう」

 という言葉だけでも共感してくださる方があれば幸せである。

  二〇〇八年四月


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